不登校の子を見守るか、背中を押すか
こんにちは。カウンセラーの竹宮と申します。
今日は「不登校の子を見守るか、背中を押すか」というテーマについてお話ししたいと思います。
これは、保護者の方々からよく受けるご相談のひとつです。
「このまま見守っていいのでしょうか?」
「いつまで待てばいいんでしょうか?」
「行かなくてもいいよって言い続けるのは、逆に悪いのでは?」
どれも、子どもを大切に思うからこその迷いだと感じます。
ですが、この「見守る」と「背中を押す」の間で揺れる感情は、ただの感覚の問題ではありません。実は、心理的にも構造的にも、きちんと整理できるテーマです。
今日はその違いとバランス、そして子どもの将来のためにはどう考えるべきか、をお伝えできればと思います。
目次
- 「見守り」と「背中を押す」は、真逆ではない
- なぜ「見守るだけ」では難しいのか
- 背中を押すとは「無理やり行かせる」ことではない
- 「寄り添い」と「静観」は違う
- 1. 気持ちに寄り添いながら、学校との接点をどう維持するか
- 2. 家庭でできる、具体的な関わり方
- 3. 理解できなくても、味方にはなれる
- おわりに
- 関連記事
「見守り」と「背中を押す」は、真逆ではない
最初に誤解を避けたいのですが、「見守り」と「背中を押す」は、対立する選択肢ではありません。どちらかを選ぶべき、ということではないのです。
ここで役立つのが、心理支援における「ケア」と「セラピー」という2つの枠組みです。
ケアとは何か?
ケアとは、子どもの感情に寄り添い、安心感を与え、存在をそのまま受け止める営みです。不安やストレス、疲労を癒すための土台を整えること。言い換えると、「今ここにいるあなたを、大丈夫と伝える関わり」です。
たとえば、
- 朝起きられなくても、「体が休もうとしてるんだね」と声をかける。
- 何も話さない日が続いても、隣にいて静かに本を読んでいる。
- 無理に原因を探さず、ただ子どものペースに合わせて一緒に過ごす。
これらはすべてケアです。
セラピーとは何か?
一方でセラピーは、未来に向けた働きかけです。癒された心が、再び歩き出そうとするとき、ほんの少しだけその背中を支えるような関わりを指します。
たとえば、
- 「最近、学校の先生が手紙をくれていたけど、一緒に読んでみる?」と提案する。
- 学校で好きだった教科や活動を思い出させるような会話をする。
- 「無理に行かなくてもいいけど、また行けたらいいなと思ってる?」と気持ちを確認する。
これがセラピーの側面です。
つまり、見守る(ケア)ことと、背中を押す(セラピー)ことは、役割が違うだけでどちらも大切です。そして、どちらか一方だけでは十分とは言えません。
なぜ「見守るだけ」では難しいのか
ここで一つ、難しい問題があります。
それは、「見守るだけでは再登校へのハードルが高くなってしまう」という現実です。
実際、不登校が長期化すると、こんな言葉を保護者の方からよく聞きます。
「もう学校の話をするのが怖くなってきました」
「子どもが怒るんです。『その話はしないで』って」
「自分も、もうどうやって話を切り出せばいいのか分かりません」
気持ちはよく分かります。
ですがこの状態は、少しずつ「学校に戻る」という未来の選択肢そのものを、家の中から消していってしまう危険があります。
関係が「静かに閉じていく」プロセス
学校からの連絡を断るようになる。
先生からの手紙も読まずにしまい込む。
学校行事や配布物にも目を通さなくなる。
こうして、学校との接点がひとつずつ失われていくと、子どもの中にも変化が起きます。
「もう行かなくていい」ではなく、「もう行けないかもしれない」という思いが、少しずつ深く根を下ろしていきます。
これは、「自分はもう普通の子とは違うんだ」という思い込みにもつながっていきます。
たとえば、
- 制服を見ただけで涙が出る
- 久しぶりに担任から電話が来ると、震えるほど動揺する
- 登校班の子たちの声が聞こえるだけで布団にくるまる
こうした反応は、学校そのものが「安心できない対象」に変わってしまった証拠です。
背中を押すとは「無理やり行かせる」ことではない
ここで、ひとつ誤解されやすいポイントがあります。
「背中を押す」と言うと、何か強制的に動かそうとする、冷たい行為のように感じるかもしれません。でも実際には、それとは全く異なります。
背中を押す=未来の選択肢を残す
再登校を促すために必要なのは、「学校に戻りたいと思える気持ち」を保ち続けることです。そしてそれは、ただ休ませるだけでは育ちません。
たとえば、
- 学校から来た手紙に一緒に目を通して、「こんなことが書いてあるよ」とそっと共有する
- 好きだった教科の話題を、ふとしたタイミングで取り上げてみる
- 「また先生に会いたいって思うときが来るかもしれないね」と、可能性を閉じない言葉を使う
こうした声かけや行動が、子どもの中に「まだ選べる未来がある」という感覚を残します。
もちろん、それで次の日に登校できるわけではありません。
ですが、今は動けないとしても、「その気持ちを捨てずにいられるかどうか」は、将来の回復にとって極めて大切な意味を持ちます。
「寄り添い」と「静観」は違う
あるお母さんがこんなことをおっしゃっていました。
「私はずっと、子どもの意思を尊重してきました。何も言わずに、好きなようにさせてきました。でも最近、自分の顔色ばかり見るようになってしまったんです。私が怒ってないかをすごく気にするようになったんです」
このエピソードは、非常に多くのご家庭に共通する問題を含んでいます。
一見「見守っている」ようで、実は「放っておいてしまった」時間が長かったのかもしれません。
静観は、実は子どもにとって重荷になることもある
子どもは、自分の状況をよく分かっています。
- 学校に行っていないこと。
- 友だちと離れてしまったこと。
- 親に迷惑をかけていること。
だからこそ、「何も言われない」ことが、時に強いプレッシャーになることもあります。
それは、「親は我慢してるんだ」「自分は触れちゃいけない存在なんだ」というメッセージとして受け取られてしまうこともあるのです。
1. 気持ちに寄り添いながら、学校との接点をどう維持するか
不登校が長引いてくると、家庭と学校の間にある「橋」が少しずつ細くなっていきます。
そして、その橋が完全に切れてしまうと、子どもが再び戻るための「道」が消えてしまいます。
学校との接点を完全に絶たないこと
多くの保護者の方は、こうおっしゃいます。
「学校からの連絡が来ると、子どもが過敏に反応してしまうんです」
「それを見ると、もう連絡は遮断したほうがいいのかなと思ってしまう」
しかし、連絡を「完全に断つ」ことは、子どもにとっても保護者にとっても、のちのち大きな負担になります。
たとえば、
- 学校行事のお知らせをもらっておく(読まずに保管でもよい)
- 先生からのお手紙や連絡帳を、まず親が読み、そのうえで「必要なら話す」スタンスにする
- 学校からの配布物を「また行けたときに渡そうね」と保管しておく
これは、無理に学校を意識させるというより、「あなたの居場所はまだそこにあるよ」と伝え続ける行為です。
たとえるなら、閉まっている部屋のドアをいつでも開けられるように、鍵だけはポケットに入れておく、そんなイメージです。
担任との関係を「人」としてつなぐ
学校という場所を「制度」ではなく「人の関係」として感じられるようにすることも有効です。
たとえば、
- 「〇〇先生は最近、子どもが来てない間に○○の授業で工夫しているって言ってたよ」
- 「あの先生も昔、登校がつらい時期があったらしいよ」
- 「〇〇先生、久しぶりに〇〇くんの名前を見て、嬉しかったって言ってた」
こうした言葉は、「学校=怖い場所」という印象を少しずつほぐし、「先生もひとりの人間なんだ」という感覚を育てます。
2. 家庭でできる、具体的な関わり方
学校という「外」との接点が希薄になる時期、子どもとどのように関わるかは、保護者にとっても大きな課題です。
ここでは、再登校や将来に向けた歩みに繋がりやすくするための、「家庭でできる2つの関わり方」をご紹介します。
① 勉強習慣は途切れさせない
不登校が長期化すると、「学習の遅れ」が子ども自身の不安をさらに強めます。
そしてこの不安が、再登校へのハードルをより高く感じさせる原因の一つになります。
「勉強なんか今はいいよ」と声をかけたくなる気持ちも、よく分かります。
でも、“勉強”という言葉を「学校の課題」と捉えず、「知識を扱う感覚」「考える筋力」を失わないことと捉えてみてください。
たとえば
市販のドリルを使って、5分だけ一緒に問題を解く
興味のあるテーマ(歴史・宇宙・ゲームのプログラムなど)を親子で調べる
ニュースを見ながら、「これってどういうことなんだろう」と一緒に考える
「内容が難しくなること」よりも、「自分はもう何も分からない・何もできない」という気持ちが積み重なることの方が、ずっと大きな壁になります。
勉強に対して「ゼロではない」状態を保っておくことは、再登校の際に「自分にもまだできる」という自信に直結します。
② どこかで将来に向き合う
もう一つ大切なのが、「どこかで、将来に一度向き合ってみる」ことです。
これは、子どもを追い詰めるためではなく、「どうにもならない」という気持ちが暴走しないように、現実と気持ちの間に“中継点”をつくるための対話です。
たとえば、こんな問いかけがきっかけになります。
「今の生活が、1年後も2年後も続いたとしたら、どんな気持ちになると思う?」
「学校じゃなくてもいいから、何かできそうなことってあるかな?」
「この先、大人になったらどんなふうに暮らしていたい?」
この時に大切なのは、「理想像」を語らせることではありません。
「今の状態のままだと何が起こりそうか?」を、あくまで冷静に一緒に眺めることです。
そして、その会話の最後に、こう伝えてみてください。
「一緒に考えてくれてありがとう。これ、答えが出なくてもいいから、またどこかで続きを話せたら嬉しい」
子どもは、「未来に向き合う力」をすぐに発揮できるわけではありません。
でも、親がそうした対話を避けずにしてくれたという経験は、子どもが“自分の未来を選ぶ感覚”を取り戻すための足がかりになります。
3. 理解できなくても、味方にはなれる
ここまで読んでくださった方の中には、きっとこう思われた方もいらっしゃるでしょう。
「そんなにたくさんのこと、できる気がしない…」
「私だって不安だし、毎日疲れているのに」
本当にその通りです。
保護者の方だって、毎日が綱渡りです。
誰かから「ちゃんとやってますよ」と言ってもらえたら、どれだけ救われるかと思います。
最後に、私が保護者の方にお伝えしている視点を共有させてください。
子どもが抱えているものを、100%理解するのは無理かもしれません。
子どもが何を感じているのか、どうしてこんなに苦しんでいるのか。
時には、親の目からはどうしても理解できないこともあります。
でも、「味方になる」ことはできます。
言い換えると、「分からなくても、信じること」はできるのです。
子どもにとって、すべてを分かってもらうことはできなくても、「分かろうとしてくれている姿勢」そのものが、何よりの支えになります。
「全部分かることはできないかもしれないけど、私はあなたの味方でいるよ」
この言葉を持っているだけで、親の立場にとっても心が少し楽になります。
おわりに
「見守るべきか、背中を押すべきか」
その問いに、唯一の正解はありません。
ただ、見守る日と、そっと声をかける日を、行ったり来たりしながら、少しずつ歩いていくのが現実です。
不登校は「解決すべき問題」ではなく、「関係のあり方を見直す機会」でもあります。
焦る必要はありません。
立ち止まることにも、深い意味があります。
でも、もしどこかで「誰かと一緒に考えたい」と思ったときは、私たちのようなカウンセラーを頼ってください。
関連記事
【国内最多の登校支援実績】トーコについて
私たちトーコは、不登校に悩んでいる2,000名以上のお子様を継続登校まで支援してきました。
「2年間一度も学校に行けなかった」「両親に反抗して暴れていた」など様々なご家庭がありましたが、どのケースでも効果を発揮してきました。
それは私たちが、医学的な根拠を持って不登校要因を診断し、児童心理司や精神科医の専門チームが継続登校までサポートする強みの表れと考えています。
無料相談も実施しておりますので、不登校でお悩みの方はぜひご検討ください。
