日本の引きこもりは、大人まで続いてしまう。
こんにちは。カウンセラーの竹宮と申します。
今日は、「なぜ日本では引きこもりが中高年まで長期化してしまうのか」について、専門的な視点から掘り下げてお話ししたいと思います。
不登校のお子さんを抱えるご家庭からは、このような悩みをよく聞きます。
「このまま大人になっても社会と関われなかったらどうしよう」
「私たちの世代には、こんな状態のまま成人になった子どもはいなかった気がする」
ご家庭の中だけでは消化できないこの不安は、今や個別の問題ではありません。
むしろこれは、「日本社会の構造そのもの」が引き起こしている現象です。
今日は、「引きこもりの長期化・高年齢化」が起きる理由を、心理・文化・制度・家族という4つの視点から整理しながら、新しい見方を提示できたらと思います。
参考資料
目次
日本の引きこもり状況
引きこもりの過程にある不登校
まず、よくある誤解を一つ解いておきましょう。
「うちの子は不登校だけど、引きこもりではない」
この考え方は決して間違いではありません。
ですが、分けすぎてしまうことで見えなくなるものがあります。
心理学的に見れば、「不登校」と「引きこもり」は地続きのプロセスです。
本人にそのつもりがなくても、「対人・対社会の回避傾向」が徐々に習慣化することで、少しずつ社会との接点が細くなっていくことがあります。
たとえば、
- 学校に行けなくなる。
- 外に出る頻度が減る。
- 家族以外との会話がなくなる。
- 自分の存在価値を疑い始める。
- 「今さら出ても遅い」という気持ちが強くなる。
このような意識の流れが積み重なっていくと、本人の中で「引きこもっている自分が、もう普通になってしまった」という感覚が生まれてきます。
つまり、引きこもりとは状態であると同時に、プロセスそのものが重要なのです。
データが示す、日本の異常な持続性
内閣府の調査(2023年)によれば、日本の引きこもり人口は推定200万人を超えています。
この中でも深刻なのは、40〜50代が最多層であり、しかも10年以上にわたり社会から断絶した人が非常に多いことです。
具体的なデータを見てみましょう。
- 内閣府調査(2016年):15〜39歳の引きこもり経験者の約35%が7年以上継続中
- 全国調査(2023年):引きこもりの4人に1人は50代以上
これほど年齢層が高く、持続年数が長い国は、世界でもほとんど例がありません。
韓国や中国にも“社会との断絶”に悩む若者は存在しますが、平均年齢は20代前半に集中しており、数年内に復帰する例が多く見られます。
つまり、日本だけが「引きこもりが定着し、長期化してしまう社会構造」になっているのです。
なぜ他国とここまで違うのか?
ここで注意が必要なのは、「引きこもり」という言葉が国によって意味合いが異なることです。
たとえば、OECDの調査では「NEET(就学・就労・職業訓練いずれもしていない若者)」を問題視しています。
しかし彼らの多くは“意欲の低下”よりも“機会の不平等”が原因であり、支援制度や奨学金、職業訓練への導線が整えば、多くは自立していきます。
一方、日本の引きこもりは、「自室から出ない」「家族以外との接触がない」「期間が10年以上」という極端な孤立状態が多く、“心理的ブロック”の厚さが格段に異なります。
この背景には、文化・制度・家族という複数の構造が複雑に絡み合っています。
回復を止める日本文化
一本道の人生観が生んだ「逸脱恐怖」
日本の社会には、「正しい人生コース」が強く刷り込まれています。
- 良い高校に進学し
- 偏差値の高い大学に入り
- 正社員として安定企業に就職し
- 定年まで勤め上げる
このルートを外れることは、「失敗」として扱われやすく、やり直しの機会を持ちにくくなってしまいます。
たとえば、大学を中退した若者がコンビニで働こうとしたとき、親戚から「せっかく大学に入ったのに」と言われたらどうでしょうか。
本人は、「やり直そう」としていたかもしれません。
でも、その一言が「やっぱり自分は失敗者なんだ」と感じさせ、再起のエネルギーを失わせてしまうのです。
これは、レールの外に出た人に再チャンスを与えにくい社会構造によるものです。
「恥の文化」が回復を遅らせる
欧米の「罪の文化」は、「自分の良心に照らして反省する」仕組みです。
一方、日本の「恥の文化」では、「他人にどう見られるか」が行動を決めます。
この違いが、引きこもりの心理に大きく影響します。
たとえば、欧米では「一度落ちても、立ち上がればいい」という価値観が一般的です。
「失敗」は個人の成長と見なされ、むしろ評価されることもあります。
しかし日本では、「失敗=恥」として扱われがちです。
それゆえ、一度挫折を経験すると、人前に出ることそのものが怖くなってしまうのです。
「どう見られるだろう」
「あの人、まだ働いてないんだって」
「あそこの息子さん、ずっと家にいるらしいよ」
こうした声に怯えて、本人だけでなく家族までもが社会との距離を取り始める。
これが社会から否定されていくメカニズムです。
家族という安全地帯の弊害
多くの親御さんが「うちの子は社会が怖いんだろうから、せめて家の中では安心させてあげたい」と考えます。
この考え方そのものは、非常に自然です。
そして、とてもやさしい愛情から生まれていることも確かです。
ただ、こうしたやさしさが、引きこもりの長期化を支える土台になることもあります。
たとえば、親がすべての食事を用意し、金銭的にも全面的に支えることで、本人が「現状を変えなければ」という動機づけを持つ機会を失ってしまうことがあります。
こうした状態が数年続くと、本人にとって“動かないほうが安心”という感覚が強まります。
それが「無力感」「怖さ」「自責感」と絡み合いながら、「変われない自分」を固定化してしまうのです。
心理学ではこれを「学習性無力感」と言います。
何度やってもうまくいかない経験を繰り返すことで、「どうせ何をしても無駄だ」と学習してしまう状態のことです。
制度が機能しない構造的な理由
「まず家庭でどうにかしてください」が制度の本音
日本の福祉制度は、「自助→共助→公助」という段階的な考え方に基づいています。
これはつまり、「まずは本人と家族で何とかしてください。無理なら地域で。最終的に国が出ますよ」という順序です。
しかし、実際にはこの仕組みが家族への過度な負担を生み出してしまっています。
・親が高齢化しても、経済的・精神的な支援を続けなければならない
・子ども本人は、親が生活を支えてくれる限り、外に出る動機を失う
・支援機関は「本人の同意がないと動けない」と言って関わりを断たれる
結果として、誰も動けない状態が長期間続くことになります。
縦割り行政が当事者を置き去りにする
引きこもりは、教育・福祉・医療・労働と複数の領域にまたがる問題です。
しかし、日本の支援体制はこの複雑さに対応できていません。
- 学校教育→文部科学省
- 医療→厚生労働省
- 生活支援→福祉部門
- 就労支援→労働局
このようにバラバラに動いているため、総合的に支援できる“横断的な窓口”が存在しません。
結果として、本人がどこにアクセスすればいいのか分からず、支援側も「自分の担当外」としてボールを回し合ってしまう。
こうした構造が、「長期引きこもり者は支援の対象外」という現実を作ってしまっているのです。
日本では政治的に存在しない集団
もう一つ、非常に根本的な問題があります。
それは、引きこもり当事者は“政治的な声”として認識されにくいという点です。
選挙にも行かず、社会活動にも参加せず、ネットでも主張を発しない。
だから、政治家にとっては「目に見えない層」になります。
当然、投票率の高い高齢者と比較して、政策の優先度も上がりません。
声なき存在は、政治にとって存在していないのと同じになってしまうのです。
欧州諸国では、そうした人々の代弁者としてオンブズマン制度が存在し、声を上げづらい人の代わりに、行政や議会に働きかける仕組みがあります。
日本では、この代弁の仕組みが極めて弱いため、引きこもり当事者に関する政策はいつまでも「様子見」のままです。
支援に必要な考え方、接し方
「部屋から出たいけど出られない」
支援の現場でよく耳にするのは、こんな言葉です。
「外に出たい気持ちはあるんです」
「でも、何から始めたらいいのか分からない」
「誰かに見られるのが怖い」
「働けない自分を見て、親ががっかりするのがつらい」
このように、引きこもりの方々の多くは、出る意志がないのではなく、方法が分からない・怖いという状態にあります。
社会的には「動かない人」と見えていても、
その内側では、ものすごく複雑な思考と感情がせめぎ合っています。
こうした“葛藤の存在”を正しく理解しないまま、
「やる気の問題」「甘え」という言葉で片づけてしまうのは、極めて危険です。
“0か100か”の思考が回復を妨げる
引きこもりからの回復支援では、よくこんな言葉が使われます。
- 「社会復帰」
- 「自立支援」
- 「就労訓練」
いずれも“立ち直る”ことを前提にした言葉です。
しかしこれらの表現には、「以前のように戻ることが正解だ」という強い前提が含まれています。
その前提自体が、実は本人を苦しめていることもあるのです。
「完全に戻れなければダメなんだ」
「フルタイムで働けない自分は価値がない」
「バイト程度では“社会復帰”とは言えない」
こうした極端な二者択一思考が、“小さな一歩”を否定してしまいます。
心理学ではこれを「全か無かの思考」と言い、回復を阻む典型的なメンタルブロックの一つです。
再接続のために必要なのは、心理的柔軟性
ここまでの話を聞いて、「結局、何をしたらいいの?」と思われた方もいるかもしれません。
答えはひとつではありません。
しかし、一つ確かに言えるのは、“柔らかさ”が必要だということです。
- 完璧に戻らなくていい
- 週に1回、外に出られたら大きな一歩
- 家族と少し会話ができるようになったらそれで十分
- 動けない時間も、意味があるプロセスだと考える
このように、「理想の社会復帰」を目指すのではなく、その人なりの再接続のペースと形を尊重することが重要です。
家庭が“社会の縮図”であるという意識
引きこもり状態の人にとって、家庭は最後の砦であり、同時に社会そのものの縮図です。
だからこそ、家庭内でどんな言葉が使われているかが重要です。
- 「あなたの年齢でそれじゃ困る」
- 「みんな働いてるのに、あなただけが」
- 「このままで一生終わるの?」
これらの言葉は、たとえ善意であっても、本人の中に「自分は間違っている」「社会に価値がない」という感覚を植えつけます。
代わりに、こんな言葉を意識してみてください。
- 「誰かのために生きなくて大丈夫だよ」
- 「今はうまく動けない時期なんだね」
- 「あなたがどうなっても、親としてそばにいる」
言葉は文化の入り口です。
家庭の言葉を変えることで、その人の中にある「自己の語り」も変わっていきます。
引きこもり問題は、「問い直し」から始まる
最後にもう一度、引きこもりをどう捉えるかについて、整理しておきたいと思います。
引きこもりとは、単なる「個人の甘え」ではありません。
それは、
- 成功モデルに閉じ込められた人生観
- 社会のまなざしの厳しさ
- 恥の文化と自己否定の強さ
- 支援制度の欠如と複雑化
- 家族のやさしさと共依存構造
- 当事者の心理的な硬直
など、複数の要因が重なって生まれる“社会の鏡”のような現象です。
だからこそ、求められるのは「こうすれば治る」という即効薬ではなく、
「何を問い直すべきなのか」という視点そのものなのだと思います。
結びに代えて──やり直すための文化を
私たちが本当に必要としているのは、「頑張れば報われる社会」ではなく、「つまずいてもやり直せる文化」です。
そのためにできることは、案外シンプルかもしれません。
- 完璧な自立を求めない
- 社会に戻る以外の“関わり方”を認める
- 家族もまた、“こうあるべき”から解放される
引きこもりから抜け出すには、時間がかかります。
でも、それは“怠けているから”ではありません。
ただ、時間と場と、見方の変化が必要なだけです。
「今のままでも、一緒にいるよ」
そう思える関係性こそが、最も強い支援なのだと私は思います。
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