萎縮させがちな父親と、反発させがちな母親の構図
こんにちは。カウンセラーの竹宮と申します。
今日は「萎縮させがちな父親と、反発させがちな母親の構図」というテーマについて書きたいと思います。
不登校の相談を受けていると、親御さんの関わり方に対して「うちは父親が厳しすぎたかもしれない」「母親の言い方がよくなかったかも」という声を聞くことがあります。
一方で、「じゃあどうすればよかったのか」という問いには、明確な答えが見つからず、後悔ばかりが残ってしまうというご家庭も少なくありません。
子どもが不登校になる背景には、さまざまな要因が複雑に絡み合っています。
ただ、その中でも「親との関係のあり方」は、ほぼすべてのケースで避けて通れない大きなテーマです。
この記事では、「なぜ父親の関わりが子どもを萎縮させやすく、母親の関わりが反発を招きやすいのか」という構図を軸に、親子関係を心理学的に整理してみたいと思います。
目次
- なぜ父親は「萎縮させる」存在になりやすいのか
- なぜ母親は「反発を招く」存在になりやすいのか
- どうすればこの構図を乗り越えられるのか
- 典型的な失敗と、そこから立て直す視点
- 「役割」を演じるのではなく、「人」として関わる視点へ
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なぜ父親は「萎縮させる」存在になりやすいのか
距離のある関係が「緊張」を生む
多くの家庭において、父親は日中仕事に出ていて、子どもとの接触時間が母親よりも少ない傾向があります。
この「物理的な距離」が、結果として「心理的な距離」にも影響を与えてしまいます。
接触が少ない分、父親からの一言が子どもにとっては非常に大きな意味を持ちます。
そしてその言葉が、注意や指導だった場合、それだけで強い緊張や萎縮を引き起こしてしまうことがあります。
たとえば、普段は一緒に過ごす時間が少ない父親が、夕食時に「なんで学校に行けないんだ」と言ったとします。
それがたとえ怒鳴ったわけでなくても、子どもは「急に怒られた」と感じてしまうことがあります。
つまり、「日常的に一緒にいない人からの正論」は、子どもにとっては“急に壁が現れたような感覚”になりやすいのです。
「理屈で正す」姿勢が防衛反応を強める
また、父親の関わりに多く見られるのが、「理屈」で納得させようとする傾向です。
- 「社会に出たらこういうわけにはいかない」
- 「今ここで甘えていたら、後で困るのはお前だ」
- 「まず行動しないと、何も変わらない」
これらはいずれも“正しい”ことかもしれません。
しかし、不登校の子どもはすでに内面で傷ついている状態にあります。
その状態で「正しさ」だけを押し付けられると、「理解されていない」「否定された」と感じて、余計に心を閉ざしてしまいます。
正論が間違っているのではありません。
ただし、「タイミング」と「関係性」が整っていないと、それは相手を傷つけてしまうのです。
なぜ母親は「反発を招く」存在になりやすいのか
過剰な気遣いが「支配」と受け取られることがある
母親の場合は、父親とは逆に、子どもと密接な関わりを持ちやすい立場にあります。
そのため、子どもが不登校になった際にも、最前線でサポートをし、励まし、心配し、さまざまな感情を共有することになります。
しかし、この「密接さ」が時に裏目に出ることがあります。
たとえば、
- 「今日こそ一歩出てみない?」
- 「そろそろ先生に連絡したいな」
- 「○○ちゃんは、来週から行くって言ってたよ」
こうした言葉は、親としての“気遣い”や“励まし”から出てくるものです。
けれども、受け取る子どもにとっては「コントロールされている」「監視されている」と感じられることがあります。
つまり、母親の側は「助けているつもり」でも、子どもには「追い立てられている感覚」として伝わってしまうのです。
共感しすぎることの「反動」
もう一つの特徴は、「共感しすぎることが反動を生みやすい」という点です。
子どもが「つらい」と言ったときに、「つらいよね」「無理しなくていいよ」と寄り添い続けることは、一見すると理想的な対応のように思えます。
しかし、これが過剰になると、子どもは「どうせ自分は動けない存在なんだ」と感じるようになります。
そして、少しずつ「変わりたい」という気持ちが出てきたとき、その“過剰な共感”が逆に足かせになることがあります。
「いつまでも“つらい前提”で見られている感じがして、腹が立つ」
こうした反発は、実際によく聞かれる声です。
つまり、共感の姿勢がずっと変わらないと、子どもが変わりたくなったタイミングに“合わなくなる”という現象が起きます。
どうすればこの構図を乗り越えられるのか
「機能分担」ではなく「役割の再定義」が必要
父親=叱る人、母親=支える人という構図は、家庭内で自然に出来上がりやすいものです。
ただし、それが固定化されると、子どもにとっては「父には萎縮」「母には依存」という偏った関係になってしまいます。
このような構造のままでは、親の意図がうまく伝わらず、子どもとの信頼関係も徐々に不安定になります。
必要なのは、「どちらがどの役割を担うか」ではなく、「親としてどのように関係を築くか」を再定義することです。
たとえば、父親は普段あまり話さない分、感情を言葉にして伝えることが有効です。
- 「少し戸惑ったけど、今は家にいることも大事だと思ってる」
- 「お父さんも正解を知らないから、一緒に考えたい」
このような言葉は、理屈ではなく“関係を保つ”力になります。
一方で母親には、「支える」ことから「見守る」ことへの移行が求められる場面もあります。
「そばにいるよ」は、時に「任せるよ」と同義であっても構いません。
接触の密度を下げることで、子どもが自分のペースを取り戻しやすくなることがあります。
一貫性と余白の両立が信頼につながる
子どもは、大人の発言に対して「何を言ったか」以上に、「どういう関係で言われたか」を敏感に感じ取っています。
ですから、父母の間で言っていることが食い違っていたり、急に態度が変わったりすると、それだけで不安を感じてしまいます。
重要なのは、夫婦間で“方針が一致しているか”ではなく、“大人として一貫性を持って接しているか”です。
それに加えて、「子どもが逃げられる余白」も必要です。
たとえば、「今日はどうする?」と聞いて返答がなかった場合、「じゃあ今は聞かないでおくね」といった言葉を添えることで、子どもは「自分のタイミングで話せる余地がある」と感じます。
このような“余白のある関わり”が、不登校の子どもにとっては安心感の土台になります。
典型的な失敗と、そこから立て直す視点
「今さら変えても無理」は思い込み
よくあるご相談として、「これまで厳しくしてきたので、今さら優しくしても子どもは受け入れないのではないか」という声があります。
たしかに、急に態度が変わると、子どもは戸惑います。
けれど、「これまでの対応を変えようとしている親の姿勢」を、子どもは必ずどこかで受け取っています。
大切なのは、“態度を変えること”自体ではなく、“それを説明できる関係性”をつくることです。
たとえば、
- 「これまでの関わり方で嫌な思いをさせたかもしれない」
- 「でも今は、違う関わり方をしたいと思っている」
こうした言葉が、子どもとの関係修復のきっかけになることがあります。
感情が出たときこそ、回復のチャンス
親の関わりによって子どもが怒ったり泣いたりしたとき、「ああ、また傷つけてしまった」と後悔することもあるかもしれません。
しかし、感情が表に出ている状態は、子どもがまだ“関係の中にいる”証でもあります。
本当に関係が切れてしまうときは、怒りも涙も出ません。
ただ黙って、何も語らなくなってしまいます。
ですから、感情が出たときはむしろ「回復のプロセスに入っている」と考えるべきタイミングです。
大事なのは、そのあとどう返すか。
- 「気づかずに言いすぎていたかもしれないね」
- 「あなたの気持ちをちゃんと考えたいと思ってるよ」
このような短くても丁寧な言葉は、反発や萎縮のループを断ち切る第一歩になります。
「役割」を演じるのではなく、「人」として関わる視点へ
ここまでで、不登校の子どもに対する父母の関わり方の違いと、それがどのように子どもの心理に影響するかを整理してきました。
・父親の正論や距離感が、萎縮を生みやすいこと
・母親の密着や過干渉が、反発の温床になりやすいこと
・両者の構図が固定されると、子どもは逃げ場を失いやすくなること
・変えようとする親の姿勢は、子どもにとって希望になること
「父親だから」「母親だから」という役割意識をいったん手放して、「自分という一人の人間として、今この子にどう関わるか」を丁寧に考えていくこと。
その視点が、親子関係を修復し、子どもの変化を支える土台になります。
もし「また失敗した」と思うことがあっても、関係はそこからいくらでも立て直せます。
完璧な親を目指す必要はありません。
揺れながら関わり続けることそのものが、支援であり、信頼の証です。