不登校や引きこもりの問題に取り組む児童心理司の藤原と申します。今回は、ToCoで支援させていただいた中学2年生のKさんから、不登校中の生活について語っていただきました。
目次
不登校のきっかけ
私は、中学2年生のときに学校に行けなくなりました。
それまでは、ごく普通の生徒だったと思います。小学生のころは友達とも仲がよく、特に大きな悩みもありませんでした。成績も平均的で、先生や親から怒られるようなこともなく日々を送っていました。
でも、中学に上がってから、少しずつ学校が嫌な場所になっていきました。
きっかけは、部活動の人間関係でした。私は運動が得意ではなかったけれど、友達に誘われて運動部に入りました。1年生のときは、先輩の言うことを聞いていればよかったし、そこまできついと感じることはありませんでした。でも、2年生になって後輩が入ってくると、私たちが指導する立場になりました。
「Kって真面目すぎるよな」
「いちいち細かいんだよ」
最初は冗談だと思いました。みんなが笑っていたし、私も「そうかな?」と苦笑いで流していました。でも、それが毎日のように続くようになり、次第に雰囲気が変わっていきました。
練習中にわざと私にだけきつい指示が飛んできたり、準備や片付けの仕事を押し付けられたりするようになりました。ロッカーに入れておいた靴がなくなっていたこともありました。あとでゴミ箱の中から見つかったけれど、そのとき私は何も言えませんでした。
「気のせいかもしれない」
「ただのふざけあいかもしれない」
そう思って、できるだけ気にしないようにしていました。でも、あるとき気づいたんです。私が話しかけても、みんな目を合わせようとしない。ふとした瞬間に、クスクスと笑われることが増えたことに。
「私、嫌われてるのかもしれない」
そう思ったとき、胸がぎゅっと締めつけられるような感覚がしました。
教室でも同じようなことが起きるようになりました。朝、教室に入ると、誰とも目を合わせられない。私が近づくと、急に会話が止まる。プリントを配ると、私のだけ机に投げられる。
友達だと思っていた子たちも、最初は普通に話してくれていました。でも、いじめが続くうちに、みんなが少しずつ距離を取るようになっていきました。目が合うとすぐにそらされます。
このままではだめだと思い、私は担任の先生に相談しました。
勇気を振り絞って、休み時間に職員室へ行きました。
「先生、ちょっといいですか?」
声が震えていたと思います。先生は書類に目を通しながら、「どうした?」と顔を上げました。
「…私、最近クラスで無視されたり、持ち物を隠されたりしてて…。その、部活でも…」
先生はしばらく黙っていました。そして、少し考えるようなそぶりを見せたあと、ため息をついて言いました。
「Kは気にしすぎなんじゃないか?」
私は言葉を失いました。
「そんなの、みんな経験することだよ。これくらいのことで落ち込んでたら、社会に出たときに大変だよ」
先生は軽く笑いました。冗談のつもりだったのかもしれません。でも、私には笑えませんでした。
「もっと強くならないとダメだよ。Kは真面目だから、ちょっとしたことで気にしちゃうんだろう?」
私は何も言えませんでした。先生に相談すれば、何か変わるかもしれないと思っていたのに。「先生も助けてくれないんだ」と思ったら、体の力が抜けていきました。
「…はい」
それだけ言って、私は職員室を出ました。
次の日から、私は誰にも相談しなくなりました。もう、どうしようもないんだと思いました。私はただ、耐えるしかないんだと。
でも、耐えることができませんでした。
ある朝、学校に行こうと玄関に立ったとき、体が動かなくなりました。
「行かなきゃ」と思うのに、足が前に出ません。心臓がドキドキして、息が苦しくなって、涙があふれてきました。お母さんが「大丈夫?」と心配そうに私の肩に手を置きました。
「…お腹が痛い」
私はそう言うのが精一杯でした。
「今日は休んでいいよ」
お母さんの言葉に、ほっとした気持ちと、罪悪感が入り混じりました。でも、その日は一日中布団の中にいて、何も考えたくなかった。
翌日も、またその翌日も、私は学校に行くことができませんでした。
「学校に行かなきゃ」と思えば思うほど、体が動かなくなりました。制服に着替えることすらできない。時計の針が進むたびに、焦りと不安でいっぱいになって、最終的には布団の中に逃げ込んでしまう。
お母さんは、「もう少し休んでいいよ」と言ってくれました。でも、お父さんは何も言いませんでした。私は、その無言の圧力が怖くて、家の中でもリビングに出るのが嫌になりました。
そうして私は、部屋に閉じこもるようになりました。
部屋から出れない日々
私は、ある日突然、部屋から出られなくなりました。
最初の頃は、学校を休んでしまった罪悪感がありました。でも、どうしても行く気になれなかったんです。朝になると気持ちが悪くなって、お腹が痛くなって、制服に着替えることすらできない。お母さんは「今日は休んでいいよ」と言ってくれました。でも、何日も続くうちに、私はリビングにいるのも辛くなって、自然と部屋に閉じこもるようになりました。
お母さんは、最初のうちは毎日「大丈夫?」「何か食べる?」と優しく声をかけてくれました。でも、お父さんは何も言いませんでした。学校に行かない私のことをどう思っていたのか、表情からは読み取れませんでした。
お父さんと目が合うと、何も言われなくても責められているような気がしました。だから、リビングに行くのが怖くなって、部屋の中だけで過ごすようになりました。
お腹がすいたら、夜中にこっそりキッチンへ行って、冷蔵庫の中のものをつまんでいました。夜の方が家族と顔を合わせることがなくて安心できたし、そのうち夜更かしをして、朝になったら眠る。そんな毎日を繰り返していました。
ある夜、布団にくるまってスマホをいじっていると、リビングから両親の喧嘩する声が聞こえてきました。
「あなたがもっとちゃんと関わってあげないから!」
「甘やかしてるのはお前だろ!」
私は耳を塞ぎました。心臓がドキドキして、体が硬くなるのがわかりました。私のせいで、家族が喧嘩している。私は家族の重荷になっている。
そう思うと、どこにも居場所がない気がして、涙がこぼれました。でも、泣いたところで何も変わらない。だから、ただひたすら目を閉じて、この時間が早く過ぎるのを待つしかありませんでした。
部屋で考えていたこと
部屋の中でひとりでいる時間が増えると、私は自分のことばかり考えるようになりました。
「どうして私は普通に学校に行けないんだろう?」
「どうして、いじめられても言い返せなかったんだろう?」
「なんで、周りの人みたいに、何も気にせず過ごせないんだろう?」
そんなことをずっと考えていました。考えたところで答えは出ないのに、頭の中ではずっと同じことがぐるぐる回っていました。
「私が弱いからだ」
「私がダメな人間だから、こうなったんだ」
「こんなことで悩んでるのは、私だけかもしれない」
そう思うたびに、どんどん自分が嫌いになりました。私がもっと強ければ、こんなふうにならなかったのに。私がもっとちゃんとできていれば、家族にも迷惑をかけずに済んだのに。
時々、スマホで「不登校」について検索しました。自分と同じように学校に行けなくなった人がいないか知りたかったんです。
いろいろな人の体験談を読んで、「私と同じだ」と思うこともあれば、「この人は頑張って学校に戻れたのに、私はダメなままだ」と落ち込むこともありました。
「もうこのままでいいや」と思うことも増えてきました。学校に行かなくても、スマホを見ていれば時間は過ぎる。現実を見なければ、嫌なことを考えなくて済む。でも、そんな生活を続けていると、ふとした瞬間に「このままで本当にいいのか?」と思うこともありました。
何かを変えなきゃいけない。でも、どうしたらいいのかわからない。
部屋の中で、私はただ時間が過ぎていくのを眺めていました。
親の呼びかけ
そんなある日、部屋にこもっている私に、お父さんが声をかけてきました。
「とりあえず、ご飯は一緒に食べよう」
それまで、ほとんど私に何も言わなかったお父さんが、急にそんなことを言うなんて驚きました。でも、不思議と「嫌だ」とは思いませんでした。
リビングに行くと、お母さんもいました。二人は特に何も言わず、いつも通りの食卓でした。私は黙ってご飯を食べました。
何か話さなきゃ、と思ったけれど、うまく言葉が出てこなくて、結局何も言えませんでした。でも、誰かと一緒にご飯を食べることが、こんなに安心するものなんだと、そのとき初めて気づきました。
それから、毎日、家族とご飯を食べるようになりました。最初はただ食べるだけだったけど、少しずつ、お母さんやお父さんと話をするようになりました。
ある日、お母さんが「学校の先生と話をしたの」と言いました。
「先生、Kにちゃんと謝りたいって言ってたよ」
先生が謝る? あのとき、「気にしないで強くなれ」って言った先生が?
驚いたけど、心のどこかで「そんなの意味がない」とも思いました。今さら謝られたって、もう私は学校には戻れない。
でも、お母さんは続けました。
「先生ね、いじめた子たちにも話をしたんだって。今、その子たちは処罰を受けて、自宅謹慎中で、復帰したら別のクラスに移るって」
私は何も言えませんでした。罰して欲しかった訳ではないという思いと、もういじめられることはないんだという安心がありました。
私はまだ、学校に戻れる気がしませんでした。でも、お父さんとお母さんが、私のために動いてくれていたことがわかって、心が軽くなった気がしました。
再登校の日
私は、それでもまだ学校が怖かったです。でも、お父さんもお母さんも、何も言わずに、私のことを見守ってくれていました。
そんなある日、ふと思いました。
「学校が全部じゃないんだ」
お父さんとお母さんがいて、話をして、ご飯を食べて。そんな毎日がある。そう思うと、少し気が楽になりました。
そして、ある朝、「ちょっと行ってみようかな」と思ったんです。
まだ不安だったけれど、お母さんが「行ってらっしゃい」と笑顔で言ってくれて、それだけで少し安心しました。
学校の門の前で、深呼吸をして、一歩踏み出しました。
まとめ
Kさんのお話を聞いて、不登校という問題の本質について改めて考えさせられました。
Kさんのケースのように、いじめがきっかけで学校に行けなくなる子どもは少なくありません。さらに、勇気を出して相談した先生が真剣に受け止めてくれなかったことは、Kさんの心に深い傷を残しました。学校に限らず、相談を受ける側がどれだけ子どもの気持ちを受け止められるかによって、その後の選択肢は大きく変わります。
また、家庭の対応も子どもにとって大きな影響を与えます。Kさんのお母さんは、最初からKさんの気持ちに寄り添い続けましたが、お父さんは最初は無関心のように見えました。
しかし、弊社の再登校支援プログラムの一環で、「とりあえずご飯を一緒に食べよう」と声をかけていただくようになり、Kさんの再出発のきっかけになりました。このように、言葉少なであっても、関わり方次第で子どもの心に届くことはあります。
また、学校と家庭の連携も非常に重要です。Kさんのケースでは、最初は先生が問題を軽く見ていましたが、お母さんが学校と話し合いを続けたことで、最終的には学校側がいじめの事実を認め、対応をしてくれました。学校との話し合いは負担に感じるかもしれませんが、お子さんのために必要なサポートを求めることは、とても大切なことです。
親御さんにとって、不登校は不安なことが多いと思います。しかし、お子さんの気持ちに寄り添い、少しずつでもできることから始めることで、必ず何かが変わっていきます。焦らず、無理をせず、お子さんのペースを尊重しながら、一緒に歩んでいってほしいと思います。
ToCo株式会社では、不登校のお子さんやご家族のサポートを行っています。困ったときには、ぜひ専門家の力を借りながら、一緒に考えていきましょう。お子さんが安心できる未来のために、できることは必ずあります。
ToCo(トーコ)について
私たちToCoは、平均15日で再登校まで支援するサービスを提供しています。
学校や行政機関による対策が進む中、不登校数は年々増え続けています。私たちは、不登校が続いてしまう要因を診断し、600名以上の家庭を再登校まで支援した実績があります。
不登校でお悩みの方はぜひ検討ください。