不登校におけるケアとセラピーの違い
こんにちは。カウンセラーの竹宮と申します。
今日は「不登校におけるケアとセラピーの違い」について考えてみたいと思います。
「寄り添うことが大事」とよく言われます。
確かに、不登校の子どもに対しては、無理に登校を促すのではなく、まず安心感を与える対応が求められます。
しかし、その「寄り添い」とは一体どこまでを指すのでしょうか。
また、それだけで子どもの状態が変わるものなのでしょうか。
今回は、ケアとセラピーという二つの考え方を軸に、不登校の支援について少し整理してみたいと思います。
目次
- ケアとセラピーは何が違うのか
- 不登校支援におけるケアとセラピーの境界
- ケアとセラピーは混ざり合っている
- ケアからセラピーへ移るタイミング
- セラピー的関わりが機能しないとき
- 子ども自身が「選べる」ことが前提
- 大人が「一緒に迷っている」状態も大事にする
- まとめ:ケアもセラピーも「人との関係」の中にある
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ケアとセラピーは何が違うのか
「ケア」とは何か
ケアという言葉は、医療や介護の分野でも使われますが、心理的な支援においても非常に重要な概念です。
ケアの基本的な役割は、「傷つけないこと」です。
傷ついた相手を、これ以上追い詰めずに、そのままの状態で包み込む。
本人の欲求に沿った形で過ごせるよう、環境を整える。
たとえば、「学校に行けない自分を否定されない」「不安になったときに誰かがそばにいてくれる」といったことです。
これは「傷を癒す」こととは違います。
「傷に触れないようにする」こと。
つまり、相手が今、自分の中でなんとか保っているバランスを壊さないことを目的とします。
「セラピー」とは何か
それに対して、セラピーの本質は「傷に向き合うこと」です。
合わせて重要な点が、「相手の需要をそのまま満たすのではなく、変容させていく」という視点です。
たとえば、「今は外に出たくない」という子どもに対して、「それでも少しずつ社会との接点を作れるようにしよう」と働きかける。
「人が怖い」という子どもに、「安全な形で他者と関わる体験を重ねて、自分の世界を広げていく」支援をする。
これがセラピーの方向性です。
つまり、ケアが「依存を引き受ける」のに対して、セラピーは「依存から自立に向かう道筋を作る」と言えます。
不登校支援におけるケアとセラピーの境界
ケアだけでは戻れないが、ケアがなければ進めない
不登校支援の現場では、「まずはケアを」という言葉がよく使われます。
実際、学校に行けなくなった直後の子どもに対して、「学校行こうよ」「早く戻らなきゃ」とプレッシャーをかけることは、逆効果になることが多いです。
そのため、本人の気持ちを受け止め、否定せずに一緒に過ごすことから始めるというケア的対応が選ばれます。
しかし、ここでよく起きるのが、「ケアだけで止まってしまう」問題です。
子どもが元気そうに見える。笑顔も戻ってきた。
でも、外には出ない。人とも関わろうとしない。
この状態が数ヶ月、あるいは年単位で続いていくケースも少なくありません。
ケアは必要です。ただし、十分ではありません。
再登校や社会復帰といった動き出しを目指すのであれば、どこかでセラピー的な関わりが必要になります。
このとき、「そろそろ動かさないと」と思った大人が、いきなり強い関わり方に転じてしまうと、かえって関係が壊れてしまうことがあります。
だからこそ、「ケアからセラピーにどう移行していくか」は、非常に繊細で丁寧な設計が求められます。
「脅し」で動かす支援に、違和感を覚える理由
以前、ある不登校支援団体が紹介された記事を目にしたことがあります。
その中に、以下のようなエピソードがありました。
子どもが休んでいる部屋に支援員が突然入っていき、こう言うそうです。
『このまま引きこもるなら、山奥の施設に送られることになるぞ。どうする?学校に行くか?』
この記事を読んで愕然としました。
もちろん、こうした言葉で結果的に「登校」したケースもあるかもしれません。
しかし、それが「回復」につながっているとは限りません。
「登校」という結果だけを目標にしてしまうと、過程で子どもが何を感じていたのか、どれほど傷ついていたかが見落とされます。
表面上は学校に戻ったように見えても、内面には「もう二度と大人に本音を見せるまい」という強い不信感が残るかもしれません。
ケアとセラピーをすっ飛ばし、「結果」だけを引き出す関わり方は、一時的な変化はもたらしても、長期的には子どもの回復を遠ざけることがあります。
ケアとセラピーは混ざり合っている
どちらかではなく、どちらもある関わり
ここまで、ケアとセラピーを区別してきましたが、実際の現場ではそれらが明確に分かれることはほとんどありません。
たとえば、子どもの話を黙って聞いている中で、「昨日は外に出てみたんだ」と打ち明けてくれることがあります。
そのとき、大人が「すごいじゃん!もっと外に出よう!」と返せば、それはセラピー的な促しになります。
一方で、「そうなんだ。疲れなかった?」と聞き返せば、ケア的な関わりになります。
どちらも必要です。
つまり、私たちはいつも、「ケア」と「セラピー」の両方を少しずつ使いながら、子どもの反応を見て調整しているのです。
このように、支援の現場では「混ざり合った関わり」が自然であり、それで構わないと私は考えています。
ケアからセラピーへ移るタイミング
安定はセラピーの準備が整ってきたサイン
子どもが不登校状態にあるとき、最も大切なのは「焦らないこと」です。
けれども、ずっと変化がない状態が続いていると、「そろそろ動き出してもいいのでは」と感じることもあるでしょう。
その感覚は間違いではありません。
たとえば、以前は顔色が暗く、ずっと布団の中にいた子が、リビングで過ごす時間が増えてきた。
親との会話も少しずつ戻ってきた。
外出はしないものの、服装や髪型に気を使うようになってきた。
このような変化は、「心の中に余白ができてきたサイン」とも言えます。
つまり、ケアが機能し、エネルギーが少しずつ蓄えられてきた状態です。
この時期こそ、「少しずつセラピー的な関わりも混ぜていく」段階にあたります。
無理に背中を押さないことが、変化を生む
ここで重要な点が、「行動変化を引き出す=何かをさせる」ではないということです。
むしろ、「今のままでも大丈夫」という安心の土台を残しながら、「ちょっと変えてみてもいいかもしれない」という気持ちが自然と生まれてくるような関わりが求められます。
たとえば、本人が自室で好きな絵を描いているとき。
「それ、誰かに見せたことある?」と聞いてみる。
「もったいないなあ」と感想を添える。
そんな、干渉ではない軽い言葉かけが、本人の中の「もう少し踏み出してみたい」という気持ちを揺らすこともあります。
セラピー的関わりが機能しないとき
「自立を促したい」という思いが裏目に出ることがある
子どもが長く家にいると、大人は次第に「このままでいいのか」と不安を感じます。
その不安が、「少しずつ自立させなければ」という行動に表れることがあります。
しかし、本人にとってはそれが「否定された」「急かされた」と感じられてしまうこともあります。
このズレは、ケアからセラピーへの移行を難しくする要因の一つです。
親の意図は「自信をつけてほしい」「一歩踏み出してほしい」という愛情からくるものであっても、子どもが「変わらなきゃいけないのか」と受け取ってしまうと、かえって関係性が硬直してしまいます。
「あなたのままで大丈夫」と「今のままでいていい」は違う
ここで混同されがちな点が、「肯定」と「停滞の放置」の違いです。
「あなたはあなたのままでいい」というメッセージは、ケアにおいて非常に重要です。
しかし、それが「ずっとこのままでいることを前提とした関わり」になってしまうと、本人の中の変化の芽を摘んでしまうことがあります。
だからこそ、「今のあなたを受け入れた上で、変わっていく可能性も信じている」という態度が必要になります。
このバランスを取ることが、まさにケアとセラピーを同時に含んだ支援だと考えています。
子ども自身が「選べる」ことが前提
変化は、本人の納得感と結びついていないと続かない
ここで改めて強調したいのは、「支援の主語は、常に子どもでなければならない」ということです。
たとえば、朝に「そろそろ起きたら?」と声をかける。
そのとき、「あなたのためを思って言ってる」と思っていても、受け取る側が「押し付けられた」と感じてしまえば、それはセラピーにはなりません。
変化というのは、本人が「やってみようかな」と思えた瞬間にしか、始まりません。
つまり、選択肢がある状態。自分のタイミングで、自分のやり方で動ける余白。
その設計こそが、セラピー的関わりには欠かせません。
大人が「一緒に迷っている」状態も大事にする
答えを出そうとしない支援もある
私たちは、大人として子どもにとっての「正解」を探そうとします。
でも、実際の支援では、「何が正しいか分からないまま一緒にいる」時間のほうが長いものです。
それは、怠慢ではありません。むしろ、その不確かさを共有することが、子どもにとっての安心につながることがあります。
「今日はこれでよかったのか、私も分からないんだよね」と語る大人がいてもいい。
「でも、今日あなたと一緒にご飯を食べられて、私はうれしかった」と、確かなことを一つだけ伝える。
こうした言葉が、次の小さなセラピーの種になっていくと私は思っています。
まとめ:ケアもセラピーも「人との関係」の中にある
この記事では、不登校支援におけるケアとセラピーの違いについて考えてきました。
・ケアは、傷つかないように包み込む関わり方
・セラピーは、傷を見つめて、そこから新しい自分を育てる関わり方
・どちらも必要であり、明確に分かれるものではない
・ケアの土台があって、初めてセラピーは機能する
・大切なのは、本人のペースで、本人の納得を大事にすること
私自身、支援の現場で「これはケアが適切か、セラピーに移るべきだろうか」と迷う場面は何度もあります。
でもそのたびに思うのは、「子どもの変化は、人との関係の中でしか起きない」ということです。
だからこそ、支援とは、相手の心に無理なく触れながら、自分も揺らぎ続けることなのだと思います。
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