依存労働としての子育ての大変さ、大切さ
こんにちは。
不登校のお子さんを育てている中で、「子育てって、どうしてこんなにしんどいんだろう」と思ったことはないでしょうか。
もちろん、子育てには愛情もやりがいもあります。ただその一方で、「疲れきってしまう自分」「頑張っても報われない感覚」「自分の人生が後回しになっていく焦りや虚しさ」といった気持ちを抱えながら、日々をなんとかこなしている方も少なくありません。
今日はそんな「子育てのしんどさ」について、少し違った角度から考えてみたいと思います。
テーマは、「依存労働としての子育ての大変さ、大切さ」。
一見、難しく聞こえるかもしれませんが、決して特別な話ではありません。むしろ、誰もが日常で感じていることを、少し整理して見直すための視点です。
目次
「好きでやってるんでしょ?」という誤解
よくある考え方に、「親なんだから子育ては当然」「自分の子どもなんだから、無償の愛で育てるのが当たり前」というものがあります。
この感覚、世の中ではまだまだ根強いです。
実際、母親が育児のつらさを口にすると、「でも、それが母親の仕事だよね」「他の人もやってるんだから」などと返される場面は少なくありません。
こうした反応には、暗黙のうちに「自発的にやってるんだから文句は言うな」というニュアンスが含まれています。
しかし、これは少し乱暴な話です。
「好きでやっている」と「社会的に求められているからやっている」のあいだには、大きな違いがあります。
依存労働とは何か
ここで紹介したいのが、アメリカの哲学者・政治理論家であるエヴァ・フェダー・キティの「依存労働(dependency work)」という考え方です。
これは、簡単に言えば「他者が生きるうえで必要なケアを、持続的に提供する労働」のことです。
子育てはまさにこの「依存労働」の代表です。
子どもは、衣食住だけでなく、心の安定や人との関係づくりなど、さまざまな面で親に依存しています。
そしてその依存に応えること、それ自体が「労働」としての側面を持っています。
「でも、それって家族なんだから当然じゃないの?」
そんな声も聞こえてきそうです。
確かに、家族のなかで助け合うことは大切です。しかしながら、依存労働の本質は「本人が自己完結できないことに対して、誰かが責任を引き受け続けること」にあります。
それは、時間もエネルギーも感情も注ぐ、重たい仕事です。
子育ては「無償の愛」だけでは回らない
「子どもが可愛いんだから、見返りなんて求めちゃいけない」
この言葉、一度は聞いたことがあるかもしれません。
もちろん、子どもへの愛情に条件はありません。
けれど、だからといって、「何も求めない・何も支えられなくていい」と考えてしまうのは危険です。
家事と育児を同時に回しながら、昼間は学校との連絡、夜は不安定な子どもと向き合い続ける。
それを毎日繰り返していたら、どんなに愛情深い親でも、心も体も消耗してしまいます。
相談いただいた親御さんの話です。
中学1年の息子さんが不登校になり、学校へは行けないまま半年が過ぎていました。
昼夜逆転、会話は減り、部屋から出てこない日もありました。
お母さんは、昼はパート、夜は帰宅してからずっと気を張りながら息子の様子を見守っていました。
「学校に行かせなきゃ」という焦りと、「無理させたくない」という思いの間で揺れ続け、ついには自分が何のために頑張っているのか分からなくなったそうです。
このように、「ケアする側が支えを持たずに、長期的に依存を引き受け続けること」には、深刻な負荷があります。
誰が親をケアしてくれるのか
エヴァ・フェダー・キティは、「依存労働を支える存在」の必要性も強調しています。
彼女はこの役割を担う人を、「ドゥーリア(doula)」と呼びました。
もともと「ドゥーラ」とは、出産を支える伴走者のことですが、キティの言う「ドゥーリア」はもっと広い意味を持ちます。
それは、ケアをしている人――つまり親自身を、心理的にも知識的にもサポートする存在です。
たとえば、それは配偶者かもしれません。
あるいは、同じような状況を経験してきた友人かもしれません。
そして、専門家の言葉や考え方も、広い意味では「ドゥーリア」のひとつに数えられます。
親がすべてをひとりで背負い込むのではなく、「ケアする自分を支えてくれる何か」を持つこと。
これは精神論ではなく、持続可能な子育てのための現実的な条件です。
「頑張り続けられない私」は、責めるべき存在ではない
「もっと頑張らなきゃ」
「私が折れたら終わってしまう」
このような感覚を抱えている親御さんは、本当に多くいらっしゃいます。
ですが、依存労働としての子育てという視点から見ると、それは当然のことでもあります。
人間は機械ではありません。休みなく続ければ、燃え尽きてしまいます。
大切なのは、「自分がどれだけのことを引き受けてきたか」を、まず自分自身が正しく把握することです。
そして、「支えてくれる知識」や「一緒に背負ってくれる視点」を生活に取り入れていくことです。
なぜ、依存労働は“見えない”のか
子育てのしんどさが世の中から見えづらくなっている理由には、いくつかの背景があります。
ひとつは、「家庭で行われる労働は“労働”としてカウントされにくい」という構造です。
お金が発生しない。
成果が数字で見えない。
人に見られることも少ない。
たとえば、会社で一日働けば、評価や給料があります。
でも、子どもの寝かしつけに何時間もかけても、それは「お疲れさま」と言われることさえ稀です。
達成感がないわけではありませんが、誰かに認識されることがほとんどありません。
この「可視化されない労働」が、依存労働の最も苦しい部分のひとつです。
「いい母親」という呪い
もうひとつの見えにくさは、「理想の親像」が過度に美化されていることです。
たとえば、こんな言葉に心当たりはないでしょうか。
- 子どもに寄り添うのが母親の役目
- 母親が安心していれば、子どもも安心する
- 子どものためなら、自分のことは後回しでいい
こうした言葉は、表面的には正論に見えます。
ですが、裏を返すと「母親はつらくても笑っていなさい」「あなたの感情は後回しにしなさい」という圧力になります。
上記の親御さんがこんなことを言っていました。
「疲れてても、イライラしてても、笑顔でいなきゃって思ってた。でも、それが続くと、どこかで心が切れてしまう感じがするんです」
理想に合わせ続けることで、むしろ親自身が孤立していく。
そんな構造に、私たちは気づく必要があります。
「報われなさ」は、ケアの構造に原因がある
不登校の子を支える中で、親が感じる「報われなさ」は、子どもが学校に行かないことだけが原因ではありません。
それ以上に大きいのは、「自分の努力がどこにも返ってこない」という感覚です。
朝ごはんをつくっても、起きてこない。
話しかけても返事がない。
学校に行かせようと何度も話し合ったが、逆に子どもとの関係が悪くなった。
「何をしても、うまくいかない」
「頑張れば頑張るほど、子どもが遠ざかっていく」
こうした体験の積み重ねが、親の心を削っていきます。
しかしながら、これは親の能力や努力が足りないからではありません。
依存労働の構造上、ケアする側には「成果が見えにくい」「一方通行に感じやすい」という特徴があるからです。
「結果」を求めない視点の切り替え
では、どうすればこの“報われなさ”から少しでも距離を置けるでしょうか。
そのためには、「結果」ではなく「プロセス」に目を向ける視点が重要です。
たとえば、
- 今日は子どもが少しリビングに出てきた
- 会話はなかったけれど、隣に座っていられた
- 夜ご飯を少しだけでも食べてくれた
こうした「一見ささいに見えること」が、実はとても大きな意味を持っています。
依存労働における「成果」は、たいていは目に見えないもの、あるいは“あとになってから気づくもの”です。
ですから、今すぐ変化が見えなくても、自分がその関係のなかに「居続けている」こと自体が、すでに価値のあることなのです。
知識や視点も「ドゥーリア」になる
前半で触れた「ドゥーリア(ケアする人を支える存在)」について、もう少し具体的に補足したいと思います。
ドゥーリアは、必ずしも人間でなくてもかまいません。
ある本との出会いでも、ある考え方との出会いでも、心の支えになるなら、それはドゥーリアになります。
たとえば、「依存労働」という言葉を知ることで、「ああ、私が感じていたこのしんどさには、名前があったんだ」と思えることがあります。
それだけで、気持ちが少し整理されて、楽になることもあります。
「つらいのは、自分が弱いからではない」
そう認識することが、状況の改善に向けた第一歩になります。
結論を焦らないことの大切さ
最後に、ひとつだけ。
不登校の子を育てていると、どうしても「いつになったら学校に行くのか」「この状態はいつまで続くのか」と、先の見えない不安に飲み込まれがちです。
でも、ケアという営みは、登校したら終わりというものではありません。
親子のあいだに起きている全てのことは、人生を重ねている間はずっと重なっていくものです。
だからこそ、急がないこと。そして頼りになる人や考え方を持つことが大切です。
おわりに
子育ては、他のどんな仕事とも違います。
休みがなく、成果が見えにくく、社会的にも認められにくい。
それでも、子どもの生活と人生を、今日も明日も引き受けているのは、あなたです。
依存労働という言葉は、子育てのしんどさを「個人の努力不足」として処理しないための、大切な手がかりになります。
そして、「支える人を支える知識や視点」――つまりあなたのドゥーリアとなるものが、少しでも増えることを願っています。
子育てを、誰もが一人で抱え込まないために。
今日の記事が、そんな一助になれば幸いです。
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