統合失調症の子どもの心が休まらない理由
こんにちは。
不登校のお子さんを支えるなかで、「この子の心は、ちゃんと休めているんだろうか」と不安になることはありませんか。
特に統合失調症と診断されたお子さんを持つご家庭では、「ただ休ませていれば回復する」という単純な話では済まされない複雑さがあると感じている方も多いのではないでしょうか。
今日は、「統合失調症の子どもの心が休まらない理由」について書きたいと思います。
目次
退屈が人にとって大切な理由
人間にとって「退屈」は、一見ネガティブなものに思えます。
時間を無駄にしているような気がしたり、やる気がない証拠のように思われたり。
でも実は、退屈にはとても大切な役割があります。
それは、心を「空っぽにする」ということです。
たとえば家事がひと段落した後、ソファに座って何も考えずにボーッとする時間。
気づけば5分、10分経っていたという経験、ありますよね。
その時間は脳が外部からの刺激をいったん遮断して、内側の整理をしているような状態です。
専門的には「デフォルトモードネットワーク」という脳の働きが関係していると言われています。
これは平たく言うと、「何もしないとき、脳は一番よく働いている」ということです。
このように退屈には、情報の整理や、心の再構築といった機能があります。
だから、私たちは本来、ある程度の退屈を必要としているのです。
「空虚放置」という心理的な現象
一方で、退屈がつらく感じられることもあります。
実際、多くの人が手持ち無沙汰になると、無意識にスマートフォンを触ったり、テレビをつけたりします。
この行動は、心理学では「空虚放置」という考え方で説明されることがあります。
空虚放置とは、むなしい状態に“放っておかれる”ことに対する不快感のことです。
これは例えば、スーパーのレジに並んでいるとき、スマホが手元にないと落ち着かないような感覚に近いです。
特に現代は、常に何かしらの刺激に囲まれている環境ですから、「何もない」ことに耐える力が、年々弱くなっている傾向があります。
けれど、だからといって刺激に満ちていれば安心かというと、そう単純な話ではありません。
統合失調症の子どもは退屈にならない
統合失調症のお子さんの話に戻しましょう。
この病気にはいくつかの特徴がありますが、その中でも大きなポイントの一つが「自己と外界の境界が曖昧になる」という点です。
具体的には、幻聴や幻視といった症状によって、自分の頭の中に他人の声が聞こえたり、目の前に誰もいないのに何かが見えるという状態が続きます。
つまり、常に「何かに満たされている」状態になります。
この「満たされている」というのは、先ほど述べた「空虚放置」とは真逆の状態です。
普通なら、刺激がないと不安になります。
でも統合失調症の場合は、逆に、自分の意思に関係なく刺激が途切れないのです。
外から見ていると、じっと座って動かず、何もしていないように見えるかもしれません。
しかし、本人の内面では常に何かが話しかけてきたり、イメージが浮かんできたりしています。
その結果、「退屈する暇がない」のです。
思考が「石を積み上げる」ようになる理由
こうした精神状態では、頭の中がずっと騒がしいままです。
これはかなり疲れます。
本来、退屈の中で脳が休み、情報を整理し、落ち着きを取り戻すべき時間に、ずっと幻覚や妄想が入り込んできてしまう。
この状態が続くと、次第に子どもたちは「思考のループ」に入り込むことがあります。
私のカウンセリング経験でも、頭の中で何かを何度も組み直すような「石を積み上げるような思考」をしているお子さんがいます。
例えば、「先生に怒られたのは、私が鉛筆を落としたせい。それが原因で皆が笑った。いや、でも違う。皆が笑ったのは、昨日のことが関係している。つまり…」といった具合に、終わりのない因果関係を脳内で追いかけてしまうのです。
これは、認知の仕組みが過剰に働いてしまっている状態です。
何かに「とり憑かれている」ような様子になることもあり、親御さんはとても心配になると思います。
「何もしていない=休んでいる」ではない
ここで一つ、大切なことを整理しておきたいと思います。
私たちはつい、目に見える状態で子どもの「休息」を判断しがちです。
たとえば、部屋にこもって横になっていると、「今は疲れているんだな」「静かにしてあげよう」と思いますよね。
もちろん、そうした思いやりはとても大事です。
ただし、統合失調症の場合、「体が休んでいる」ことと「心が休んでいる」ことは、必ずしも一致しません。
むしろ、静かに見えるときほど、心の中では大嵐が起きている可能性があります。
このギャップに、親御さんは非常に戸惑うはずです。
「本人は何もしていないのに、なぜこんなに疲れ切っているのか」
その理由が、幻聴や幻視によって心がずっと働き続けているから、なのです。
一般的なアドバイスが通用しない背景
不登校に関する情報を調べていると、よく見かけるアドバイスがあります。
「見守りましょう」
「本人のペースを大切に」
「静かに寄り添って」
確かに、一般的な不登校のケースでは有効なスタンスかもしれません。
ただし、統合失調症の子どもにとっては、それが必ずしも「楽になる関わり方」とは限らないのです。
「静かに放っておいてくれること」は、子どもにとって「休める環境」であるとは限りません。
むしろ、何も外からの接触がない状態の方が、内側から押し寄せる幻覚の波に翻弄されてしまい、苦しくなることもあるのです。
親御さんが「そっとしておいてあげよう」と思った結果、子どもがますます孤立感や混乱を深めてしまう。
そういったケースは、実は少なくありません。
「安心」の構造を見直す
このような背景を踏まえると、「どうすれば安心できる環境をつくれるのか」という視点が重要になります。
安心とは、「外からの刺激がゼロになること」ではありません。
むしろ、「予測できる刺激があること」のほうが、心の安定にとって効果的な場合があります。
たとえば、毎日同じ時間に「お茶飲むけど、一緒に飲む?」と声をかける。
その問いかけに返事があるかどうかではなく、「今日は何も話さなくていいんだ」と感じられるリズムをつくる。
そんなルーチンが、「ひとりぼっちではない」という感覚を支えることがあります。
ここで大切なのは、「干渉」ではなく「予測可能性」です。
統合失調症のお子さんにとって、突然の変化や意味のわからない会話は、混乱を招く原因になります。
逆に、「今日はお母さんが何か言ってくるな」と分かっているだけで、不安が和らぐこともあるのです。
「何もない空間」が苦しさになる理由
統合失調症の症状は、五感のどこかが常に過剰に刺激されている状態です。
それは、テレビの音量が最大になっていて、チャンネルが勝手に切り替わるテレビをずっと見せられているようなもの。
しかも、その内容はたいてい本人に対して否定的だったり、不安を煽るような内容です。
この状態で、完全な「無音」「無刺激」の空間に置かれると、かえって幻聴や妄想が増幅されることがあります。
親御さんが善意で「静かな部屋でひとりでいられるように」と整えた環境が、実は本人にとって「過剰な刺激を制御できない孤独な場」になってしまう。
このあたりの認識のズレが、すれ違いを生んでしまうのです。
子どもが「思考に飲み込まれない」ために
では、どうすればその状態から一時的にでも離れられるのでしょうか。
ここで必要なのは、「外からの支えとなる構造」です。
構造とは、決まった流れ、予測できる出来事、繰り返しの中での安心です。
たとえば、こんな工夫があります。
・朝起きたらカーテンを一緒に開ける
・天気の話を毎朝一言交わす
・一日の中で「変わらない何か」を持ち続ける
これらは一見すると、とてもささやかなことです。
ですが、その「小さな確かさ」が、ぐらぐらと揺れ続ける認知の支えになります。
無理に話を聞き出す必要はありません。
ただ、毎日同じようにそこにあるものが、心の中の「曖昧さ」と戦う土台になるのです。
困惑しても、放置しないことに意味がある
ここまで読んで、「それなら自分に何ができるの?」と、かえって不安になる方もいるかもしれません。
ですが、その不安こそが、今のお子さんの状態に真摯に向き合っている証拠でもあります。
「どう関わればいいかわからない」
「見守っていいのか、声をかけるべきか分からない」
こうした迷いには、「明確な正解」はないかもしれません。
でも、「静かに放っておく=最善」ではないという視点を持てたこと自体が、大きな一歩です。
「本人の意思を尊重する」ことの難しさ
また、「本人の意思を大切にしてあげてください」と言われたことがある方もいるかと思います。
もちろん、その考え方が全く間違っているわけではありません。
ですが、統合失調症のお子さんの場合、「自分の意思」が幻覚や妄想によって歪められていることがあります。
例えば「自分のことを見張っている人がいるから学校に行けない」と感じている場合、これは本人にとっては現実であり、「その不安は事実」として存在しているわけです。
つまり、意思を尊重しようとするほど、「現実とのズレ」を肯定してしまう結果になることもあるのです。
これが、非常にデリケートなバランスを要するところです。
答えのない問いと向き合うこと
ここまでの話を振り返ってみると、「どうすればいいか」に対して、明確な解決策が無いことに気づかれると思います。
それは統合失調症のお子さんにとって、問題は「何をすればよくなるか」ではなく、「どのようにその人の苦しさを理解し、環境を整えていけるか」というプロセスにあるからです。
この症状に対しては社会との関係、自己との関係をどう再構築していくかという、長期的な視点が求められます。
最後に:心が休まるということ
冒頭で、「この子の心は休めているんだろうか」という問いについて触れました。
その問いに対して、今日お伝えしたいのは、「静けさ=休息ではない」ということです。
統合失調症のお子さんの心が休まらない理由は、「外からの刺激がないから」ではなく、「内側の騒音が止まらないから」なのです。
ですから、静かにそばにいるだけでなく、「一定の音」「一定の動き」「一定のやりとり」を環境の中に置いてあげること。
それが、子どもの心の中に「予測できる世界」を少しずつ取り戻していく第一歩になります。
「特別なこと」は、必要ありません。
でも、「同じこと」が、とても大事になります。
親として、何もできないように感じる時間が続くかもしれません。
それでも、「この子の心が少しでも休まるように」という願いがある限り、やれることは必ずあります。
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