こんにちは。不登校カウンセラーの竹宮です。
今日は「友だち100人から解き放たれよう」というテーマでお話ししたいと思います。
きっかけは、ある保護者の方との会話でした。
「スーパーで流れてるあの歌を聞くと、なんだか胸がざわざわするんです」
——そんな一言から始まりました。
おそらく、多くの方が耳にしたことがあると思います。
「ともだち100人できるかな♪」という、あの有名な子どもの歌「一年生になったら」です。
お買い物中やテレビのCM、運動会のBGMなんかにも使われたりして、ふとした瞬間に流れてくる曲です。
でも、よく考えてみると、この歌。
本当に素敵な歌でしょうか?
今日は、この歌に込められたメッセージを、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思います。
目次
「友だち100人できるかな」という無言のプレッシャー
この歌が初めて登場したのは1966年。
当時の日本は高度経済成長の真っ只中で、「集団」「協調」「みんなで同じ方向を向く」ことが良しとされる時代でした。
そんな時代背景の中で、「友だちは多いほうがいい」「たくさんの人と仲良くするのが正しい」という価値観が、無意識のうちに子どもたちに刷り込まれていきました。
もちろん、友だちが多いこと自体を否定するわけではありません。
誰かと関われること、つながりを持てることは、大人になってもとても大事です。
ただ、この「100人できるかな」というフレーズ。
少し冷静に考えてみると、なかなかに重たいんですよね。
「みんなと仲良くしよう」がもたらす心のひずみ
よく学校で言われる「みんなと仲良くしよう」という言葉も、実は似た構造を持っています。
この言葉、悪気はないんです。
先生たちも善意で言っているし、「いじめをなくしたい」という願いから出てきたものだったりします。
でも、言われる側の子どもたちはどう感じるでしょうか?
本当は苦手な子がいるのに、それを我慢して笑わなきゃいけない。
「仲良くしなきゃいけない」から、距離を取ることもできない。
その結果、自分の心を押し殺すようになります。
そして少しずつ、自分がどう感じているのかが分からなくなってしまうのです。
「友だちが多い=いいこと」という呪縛
「うちの子、友だちが少ないんです」
「学校に行っても一人でいることが多くて……」
そんな声を聞くたびに思うのは、
「それって、本当に問題なんでしょうか?」という疑問です。
もちろん、親として心配になる気持ちはとてもよく分かります。
私も我が子が一人でいると聞けば、何かトラブルがあるんじゃないかと不安になります。
でも、それは私たち大人が、
「友だちはたくさんいるべき」
「ひとりぼっちはかわいそう」
という“常識”を疑っていないからこそ、湧いてくる感情なのかもしれません。
ひとりでいること=悪ではない
一人で過ごす時間が好きな子。
静かに本を読んでいるほうが安心する子。
深く関われる一人の友だちがいれば、それで十分な子。
そんな子どもたちにとって、「100人の友だち」は必要ないどころか、むしろ重荷になります。
実際、友だちが多すぎることで疲れてしまったり、トラブルが増えてしまったりすることもあります。
中には「人間関係を回すこと」に精一杯で、自分自身を見失ってしまう子もいます。
それでも、「ひとりでいるのは変」とされてしまうのが、今の社会です。
子どもの「ひとり時間」を大人がどう見るか
ここで一度、立ち止まって考えてみてください。
「この子はひとりでいるけれど、困っているのかな?」
「それとも、自分なりのペースで安心して過ごしているのかな?」
同じ“ひとり”でも、その背景は全然違います。
そして、前者と後者を見分けられるかどうかは、親や大人のまなざしにかかっています。
「寂しそうだから」「かわいそうだから」と思い込んで、無理に友だちを作らせようとすると、子どもはますます混乱してしまいます。
「100人」より「たった一人」の安心
「友だちは多いほうがいい」と言われる一方で、実際に子どもたちの口からよく聞くのは、
「一人だけでも、ちゃんと話せる子がいればいい」
という声です。
大人でもそうですよね。
知り合いは多くても、本音で話せる相手って、そう何人もいないと思います。
むしろ、たった一人でも「自分のことを分かってくれる」と思える人がいれば、すごく心強いものです。
にもかかわらず、子どもにだけ「広く・浅く・みんなと仲良く」という無理をさせるのは、少し違う気がしています。

「友だちを作る」は目標じゃなく、結果
不登校や登校しぶりがあると、保護者の方が「まずは友だちを作って」と考えることがあります。
けれど、私はこの順番に、少し疑問を感じています。
友だちは、「作る」ものというより、「できる」ものです。
何かに夢中になっているときや、好きなことに取り組んでいるとき。
同じ空間で自然に時間を過ごしているうちに、気が合う相手が現れて、少しずつ関係ができていく。
それが本来の友だち関係なのではないでしょうか。
つまり、「友だちを作る」は目的ではなく、何かに取り組んだ“結果”なのです。
目的を「友だち」から「安心」に変える
では、不登校の子どもが学校に行けるようになるには、どうしたらいいのでしょうか?
私は、「安心できること」が最優先だと思っています。
たとえば、教室に入らなくても大丈夫な場所がある。
無理に人と話さなくても、自分のペースで過ごせる。
わかってくれる大人が一人でもいる。
そういう「安心の土台」があると、少しずつ心がほぐれていきます。
その結果、「誰かとちょっと話してみようかな」と思えるようになる。
そうやって、自分から関わろうとする気持ちが芽生える瞬間がやってきます。
「友だちがいないと不安」なのは、子どもじゃなくて親かもしれない
ここまで読んでくださった方の中には、もしかするとこんな気持ちになっている方もいるかもしれません。
「でも、うちの子は本当に一人ぼっちで大丈夫なの?」
「子どもの将来を考えると、やっぱり人間関係が心配です」
すごくよくわかります。
私も、保護者として同じように感じることがあります。
でも、だからこそ一度だけ、自分に問いかけてみてください。
「この不安は、本当に“子ども自身”のものだろうか?」
「それとも、“自分”が抱えている不安かもしれない?」
子どもがひとりでいても、落ち着いた表情をしている。
好きなことを楽しんでいる。
そんな姿があるなら、きっと大丈夫です。
解き放たれるということ
「友だち100人できるかな」という歌は、明るくて、元気で、無邪気な印象があります。
でも、その裏には「みんなと仲良くするのが正しい」「孤立するのは悪いこと」という、見えないメッセージが含まれているようにも思えます。
その価値観から、少しだけ距離をとってみる。
「友だちが少ない=ダメなこと」ではなく、
「自分らしくいられる関係があれば、それでいい」と考えてみる。
それは、子どもだけでなく、大人自身が抱えていた思い込みから「解き放たれる」ことでもあります。
まとめ
「友だち100人できるかな」という歌が投げかけてくる価値観は、時に子どもたちを縛るものにもなり得ます。
子どもが本当に必要としているのは、「たくさんの友だち」ではなく、「安心していられる空間」と「わかってくれる人」です。
そして、その安心があってこそ、自然な形で人との関係が築かれていきます。
焦らなくて大丈夫です。
「ひとりでいる子」を見たとき、「かわいそう」と感じる気持ちが湧いたら、少し立ち止まってみてください。
もしかしたらその子は、「たくさんの誰か」ではなく、「たった一人の自分」を、大切にしているのかもしれません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これからも、子どもたちが「自分のままでいていい」と思える社会のために、発信を続けていきます。
— 竹宮(ToCo 不登校カウンセラー)
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