反抗する中で、親の愛情を測る子ども

こんにちは。カウンセラーの竹宮と申します。
今日は「反抗する中で、親の愛情を測る子ども」というテーマでお話ししたいと思います。

不登校のご相談を受けていると、「うるさい!」「何も言わないで!」と声を荒らげて親を突き放すお子さんの話をよく耳にします。そして、そのたびに親御さんの表情には、戸惑いや困惑、そして少しの諦めがにじんでいるのを感じます。

「もう、あの子に何を言っても無駄かもしれない」
「どうせまた怒鳴られるだけだから」
「そっとしておいたほうがいいんでしょうか」

そうやって、徐々に距離を取ることが“正解”のように感じ始めてしまう。その気持ちはとてもよくわかります。

ですが今日は、そのような反応の奥にある“子ども側の心の揺れ”について、少し違った視点から考えてみます。
きっと親としての立ち位置が、少し見えやすくなるはずです。

目次

子どもが「うるさい」と言う背景

「うるさい」「放っておいて」と言われると、こちらとしては手も足も出せなくなります。下手に関われば火に油を注ぐだけだと感じてしまいますよね。

でもこの“拒絶の言葉”は、必ずしも本音ではありません。
むしろ、言葉とは裏腹に「受け止めてほしい」「でも近づいてほしくない」——そんな矛盾した感情を含んでいることが多いのです。

これは、心理学で「アンビバレンス(二重感情)」と呼ばれる状態です。
ひとつの対象に対して、好意と嫌悪、期待と恐れなど、相反する感情を同時に抱えることを指します。

たとえば、お子さんが「もう学校の話はしないで」と言いながらも、机に置かれたプリントをチラッと見ていたり、提出物の期限だけはなぜかチェックしていたり。
その行動には、「本当は気にしているけれど、それを見せるのが恥ずかしい」「失望されたくない」という複雑な気持ちが隠れていることがあります。

「何も言わないで」の隠されたサイン

親としては、言葉をかけるたびに怒鳴られたり、無視されたりすると、だんだんと声をかけるのが怖くなります。

一方で、子どもたちの中には「何も言わないで」と言いつつも、リビングで親がテレビを見ている音を聞いて安心していたり、夕飯がいつもの時間に並ぶことでホッとしていたりすることがあります。

つまり、言葉では拒否しても、存在は感じていたい——そういう欲求が、反抗的な態度の裏に潜んでいることがあるのです。

たとえばこんな場面を想像してみてください。

夕飯時、「先に食べといて」と子どもが言い、自室にこもってしまった。でも、ふと食卓を覗いて「何食べてるの?」とだけ聞いてきたとします。
その一言は、「気にしてるよ」という無言の合図かもしれません。

「信じて見守りましょう」の落とし穴

不登校支援の現場では、「信じて見守りましょう」という言葉が頻繁に使われます。確かに、過干渉にならないように距離を取ることは、一理あります。

しかしこのアドバイスが独り歩きして、「見放すこと」と「見守ること」が混同されてしまっている場面も少なくありません。

「何も言わないようにしたら、関係がどんどん冷えてしまった」
「距離を取ることが“放置”になってしまっていたのかも」

そんな声を、私のもとに来られる保護者の方から何度も聞いてきました。

子どもにとって、何よりも大切なのは「見捨てられていない」と感じることです。
それが確認できないと、「この程度で愛情は終わるんだ」と心のどこかで思ってしまいます。

暴言の裏にある、「ごめん、こんな自分で」

「うるさい」「おまえのせいだ」——親を傷つける言葉をぶつける子どもに対して、どうすればいいのでしょうか。

正直、理不尽だと感じるのは当然です。
言い返したくなる気持ち、黙って距離を取りたくなる気持ち、どちらも自然な反応です。

ですが、実はその暴言の裏には、「素直に助けてと言えない自分を責める気持ち」が隠れていることがあります。

「ごめん、こんなふうにしか言えなくて」
「引き返し方がわからなくなってしまった」

そんな後悔や不安を、本人もどう処理すればよいか分からず、結果として怒りの形でしか外に出せないのです。

たとえば、幼い頃におもちゃを壊してしまい、謝りたくても怖くて黙っていたこと。怒られるのが怖くて、「別にいらなかった」と強がってしまったこと。
そういう記憶は、大人でも思い当たるはずです。

今の子どもたちも、実はそれと似たような気持ちの中でもがいています。

親が「味方であり続ける」ことの意味

ここで、ひとつの分かれ道があります。

暴言に傷つき、「もう仕方がない」と心を閉ざすか。
それでも「私はあなたの味方でいたい」と、静かに立ち続けるか。

もちろん、「どんなときも100%味方でいましょう」と言いたいわけではありません。
怒りたくなるときもあって当然ですし、「私だって限界」と思う夜もあると思います。

でも、「私は離れないよ」というメッセージが、一度でも届くと、子どもは変わり始めます。
それは、すぐに行動に出るとは限りません。
むしろ、態度がさらに悪化するように見えることさえあります。

でも、そこを超えた先に、「戻っても大丈夫なんだ」と感じるタイミングがやってくることがあるのです。

「言葉では伝わらない関係性」こそが、後の支えになる

不登校の渦中では、親子の会話がどんどん短く、冷たくなっていきます。
そしてある日、「もはや何を言っても無駄だ」と、完全に口を閉ざしてしまうこともあります。

それでも、言葉以外で伝わっていくものは必ずあります。

たとえば、朝食をいつもと同じように並べること。
好きなアイスを買っておくこと。
寒そうだったからといって毛布をそっとかけておくこと。

子どもは、そういう行動をちゃんと見ています。
見ていても、それを「ありがとう」と言葉にすることは、今はできないかもしれません。
けれど心のどこかで、「それでもまだ愛されている」と感じ取っています。

そしてその“見えない関係性”は、将来、ふとしたときに効いてくることがあります。
たとえば進路に悩んだとき、バイト先で失敗したとき、友達関係で苦しんだとき。
自分はあの時、どんなにこじれても、見放されなかった。
そう思い出せる記憶が、踏み出す力になります。

「愛情を示す」と「依存する」は、まったく違う話

ここでひとつ注意しておきたいのは、「何があっても味方でいる=過剰に構うこと」ではない、という点です。

味方でいるというのは、「あなたがどんな状態でも、あなた自身の価値が変わることはない」と伝えることであって、「全部代わりにやってあげる」ことではありません。

よく、「全部言ってくれれば、助けてあげられるのに」とおっしゃる親御さんがいます。
その気持ちは本当によくわかります。

でも、子ども自身が何かを選び、何かに失敗し、それでもまた前を向く——
そうした過程を手放してしまうと、「自分で何かを乗り越えた」という実感が失われてしまいます。

ですから、「助けたい気持ち」と「見守る距離感」の両立は、常に揺れながら調整していくものなのです。

「子どもは親の愛情を試している」その言葉の意味

よく「子どもは親の愛情を試す」と言われます。
これもまた、言葉が独り歩きしてしまいやすいフレーズです。

“試す”というと、意地悪なようにも聞こえますが、実際には「このくらいのことで愛情が変わらないか確認している」と言ったほうが、実態に近いように思います。

たとえば、子どもが理不尽な態度を取ったとき、
「あなたのそういうところ、本当に嫌い」と言われてしまえば、子どもは「ああ、やっぱり」と感じてしまいます。
一方で、「そんなふうに言われたら悲しくなるけど、あなたのことは嫌いにならない」と返されたら、その印象はまったく変わります。

もちろん、毎回冷静に返すのは難しいです。
ですが、愛情の“基盤”が揺るがないというメッセージが、どこかで届いていると、子どもは安心して再スタートが切れるようになります。

「子どもが変わる」より先に、「関係が変わる」

不登校が続く中で、「うちの子が変わってくれさえすれば」と願う気持ちは、とても自然なものです。

しかしながら、子どもが変わるためには、まず親子の“関係性”が少しずつ変わっていく必要があります。

それは、怒られなくなったとか、毎日会話するようになったとか、そういった表面的な話ではありません。

「何を言っても愛情はなくならない」
「今の自分でも、ここにいていいと思える」

この2つの感覚が育つことが、回復の第一歩になります。
そしてそれは、「関係性」のなかでしか得られない感覚です。

言葉が通じない時期でも、伝わっていること

親子関係がこじれているとき、「どうしても言葉が届かない」と感じることがあります。
実際、話しかけても怒鳴られる、無視される、部屋に閉じこもって出てこない——そんな日々が続くと、絶望的な気持ちにもなります。

でも、言葉が通じない時期でも、伝わっていることはあります。

それは、
・ごはんを用意してくれたこと
・夜になって部屋の電気がついていたこと
・自分の存在が誰かの気にかかっていると感じられたこと

ほんの小さな積み重ねでも、「誰かが自分を見捨てていない」という実感を、心の深いところに残してくれます。

そしてそれは、やがて子どもが自分自身をもう一度信じようとするきっかけになります。

おわりに:親の愛情は、拒絶されたその先でこそ光ります

今日は、「うるさい」「何も言わないで」と反抗する子どもが、実は親の愛情を測っている——そんな話をしてきました。

拒絶の言葉を受け止めるのは、とても苦しいことです。
ですが、それでも「私は見捨てない」という静かな姿勢が、子どもの心に種をまきます。

すぐに芽は出ません。
それどころか、ますますひどくなるように見えることもあるでしょう。

でも、どんなときでも「ここにいていい」と思える場所があること。
それこそが、子どもにとっての“希望”になります。

その希望の灯りを絶やさずにいてくれる親の存在は、時間をかけて、必ず子ども自身の力になります。

決してひとりで抱え込まないでください。

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