子どもへの愛憎と、その向き合い方
こんにちは。カウンセラーの竹宮と申します。
今日は、「子どもを愛しているのに、嫌いになってしまう自分がいる」という感情について書いてみたいと思います。
これは、決して稀な感情ではありません。
不登校のお子さんを持つ多くの保護者の方が、表立っては語らないけれど、心の奥で抱えている思いだと感じています。
たとえば、
「大切な子どもなのに、顔を見るだけでイライラしてしまう」
「昔は一緒に出かけたり笑い合ったりできていたのに、いまはただ黙って部屋にいる姿に胸が苦しくなる」
「声をかけても無視される、怒鳴られる。もう何もしたくない」
こうした気持ちを抱えることに、罪悪感を持ってしまう方も多いようです。
ですが、まず最初に申し上げたいのは、このような「愛しているけれど嫌い」という気持ちは、親として失格でも、人として間違っているわけでもありません。
むしろ、それは人間として自然な心の働きです。
今日はそのことを、専門的な視点も交えながら整理し、少しでも気持ちが楽になるような見方をお伝えできればと思っています。
目次
「愛してるのに嫌い」という矛盾
「子どものことが大切で仕方ない。でも、時々顔も見たくない」
こうした相反する感情のことを、心理学では「アンビバレンス」と呼びます。
アンビバレンスとは、一人の対象に対して、正反対の感情を同時に抱くことです。
親子関係において、このアンビバレンスは非常に頻繁に起こります。
たとえば、夜中に泣き止まない赤ちゃんを抱えながら、「もう限界」と思いながらも、決して手放すことはしない。
思春期の子どもにきつく当たられ、「なんでこんな子に育ってしまったのだろう」と思いながらも、熱を出したときには心配で眠れなくなる。
このように、矛盾する感情が同時に存在することは、むしろ親子のリアルな姿です。
ですから、「嫌いと思ってしまった私は母親失格なんじゃないか」と思う必要はありません。
ただ、問題になるのは、それを誰にも話せず、自分の中だけで「こんな感情はダメ」と否定してしまうときです。
「無条件の愛」がプレッシャーになるとき
子育てにおいてはよく、「親の愛は無条件であるべき」という言葉が使われます。
確かに、子どもがどんな状況にあっても、その存在自体を肯定することは重要です。
ですが、この「無条件の愛」という言葉が、逆に親を追い詰めてしまうこともあります。
たとえば、不登校で何ヶ月も部屋にこもり、親の呼びかけに応じない。
ドア越しに「ご飯だよ」と伝えただけで「うるさい!」と怒鳴られる。
そんな毎日が続いて、「それでも私はあなたを愛してる」と思い続けられる親御さんが、果たしてどれだけいるでしょうか。
本音では、「いい加減にしてほしい」と思う日もある。
「もうこの子がいなければ」と思ってしまったことがある、という方もいらっしゃるかもしれません。
でも、それを「親失格」と責めるのではなく、むしろ「人間だから当然」と理解することが必要です。
ストレスは、愛情の裏返し
ここで少し、感情の構造についてお話します。
人がストレスを感じるのは、「大切にしていること」があるからです。
どうでもいい相手や物事に対して、人は強いストレスを感じません。
ですから、子どもに対して「もう無理だ」と感じてしまう背景には、それだけ「この子を理解したい、支えたい、うまくいきたい」という気持ちがあるのです。
つまり、「嫌い」と感じてしまうのは、「どうにかしたい」という感情がうまく届かないことによる、心の摩擦の表れです。
これは、家事でも同じようなことが起こります。
たとえば、毎日一生懸命つくっている夕飯に、何も言わずスマホを見ながら食べている夫がいたら。
「感謝されたい」と思っていなくても、「この人に美味しいって言ってもらいたかったな」と思っていた自分に気づいて、少しがっかりしたり、腹が立ったりします。
そういう感情は、なくすべきものではなく、大切にしているからこそ生まれるのです。
感情を「処理」しようとしない
多くの親御さんは、「この気持ちをどうしたら消せるか」「どうすれば前向きな感情だけでいられるか」と悩まれます。
ですが、感情というものは、必ずしも「整理して、処理して、前向きになる」ことだけが正解ではありません。
むしろ、「あるものとしてそのまま認めておく」ことのほうが、長い目で見て心が穏やかになるケースが多いのです。
感情は、無理に変えようとすると、逆に強くなってしまうことがあります。
「こう思ってはいけない」「こうあるべき」と思うほど、それを考え続けてしまう。
それならいっそ、「嫌いと思ってしまうのは仕方がない」と一度受け止めてしまったほうが、結果的には冷静になれたりします。
感情は、語ることでほどけていく
誰かに話すことで、感情が整理される。
これは、私たちカウンセラーが日々感じていることです。
「誰にも言えない」と思っていたことを、ぽつりと話せた瞬間に、涙が出てしまう。
その涙は、悲しみというよりも、ずっとひとりで耐えてきた自分をやっと許せたことの証でもあります。
「こんなことを思ってしまう自分を、誰かに話したら軽蔑されるのではないか」と思う方もいますが、むしろそれを語ってくださる方こそ、私たちは尊敬の念を抱きます。
なぜなら、それは「子どもと向き合おうとする、誠実な姿勢」だからです。
子どもを愛するというのは、常に温かく優しくいられることではありません。
不安になったり、怒ったり、悲しんだり、そしてときに嫌いになったり。
それでも「どうにかこの子と関係を築いていきたい」と思うことこそが、愛なのだと思います。
「向き合わない」という選択肢もある
一つ、お伝えしておきたいことがあります。
それは、「常に子どもと向き合わなければならない」という考えに、縛られすぎなくていいということです。
お子さんが不登校であっても、いつも部屋の前で気を張って声をかけなければならない、というわけではありません。
むしろ、「いまは私がこの子と距離を取ることが必要だ」と判断することも、立派な向き合い方です。
ときに、親子関係は「近づきすぎない」ことで回復することがあります。
お互いに「いまは話したくない」「関わるのがつらい」と感じているなら、その感情を正直に見つめたうえで、少し距離を置くことが「無関心」とは違うことを、どうか忘れないでください。
しかし、目安として24時間以上、放置してはいけません。放置は子どもの中で不安やストレスが大きくさせてしまう行為です。
子どももまた、同じように揺れている
最後に、少しだけお子さんの側についてお話します。
不登校の子どもたちもまた、「親に感謝している」「申し訳ないと思っている」「でもうまく伝えられない」「いまは顔も合わせたくない」という複雑な気持ちの中で揺れています。
表には出さなくても、「こんな自分は嫌われて当然だ」と思っていたり、あるいは「どうせ何を言っても分かってもらえない」と感じていたりすることもあります。
そうした気持ちは、どちらか一方の努力で解消できるものではありません。
でも、「私も、あなたのことを愛しているけれど、正直しんどいときもある」という思いを、言葉や態度で少しずつ表現していけたなら。
たとえぶつかることがあっても、それは確かな一歩になると私は信じています。
終わりに
親子というのは、とても不思議な関係です。
血がつながっているからこそ、逃れられない思いもある。
誰よりも近い存在だからこそ、傷つけてしまったり、傷ついたりする。
でも、だからこそ、関係を諦めずに向き合おうとする姿勢には、他のどんな関係にもない強さがあります。
「子どもを嫌いだと思ってしまう自分がいる」
「でもやっぱり、この子のことが心配でたまらない」
この二つの感情が共存しているなら、それはあなたが「本気で愛している証拠」なのだと思います。
葛藤があるからこそ、親子の関係は深まり得ます。
どうか、一人で抱え込まないでください。
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