友達を作らなくてもいい


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「友達がいない」という不安を抱える親子へ

春になると、街のあちこちに真新しいランドセルや制服を身にまとった子どもたちの姿が見られるようになります。親としては、その姿に微笑ましさとともに不安も感じるのではないでしょうか。子どもが新しい環境にうまく馴染めるか、友達ができるか、先生とうまくいくか。そのような心配は、子育て中の親にとって避けられないものです。

特に「友達ができるかどうか」は、多くの親が強く気にするポイントです。自分の子どもが休み時間に一人でいたらどうしよう。グループに入れなくて、お昼ご飯をひとりで食べていたら辛いんじゃないか。誰かと一緒に下校していなかったら、仲間外れにされているのでは……。そういう思いが、子どもの様子を観察するたびに頭をよぎるかもしれません。

実際、「友達ができたか?」という質問を新学期の数日以内に投げかけてしまう親は少なくありません。ある意味それは当然のことです。学校という場所は、勉強だけでなく社会性を学ぶ場でもあるという認識が強くあり、そこに「友達」が関係してくるのは自然な流れです。

しかし、必要な言葉は「友達を作らなくてもいい」かもしれません。

これは決して人間関係を否定する意図でもありません。むしろ、心の安全と成長を守るためのメッセージです。
「誰とでも仲良くしなさい」の言葉の裏に、どれほど大きなプレッシャーが潜んでいるのか。無理に友達を作ろうとして、自分をすり減らしてしまう子どもがどれほど多いのか。私はそれを、親として、そしてカウンセラーとして、日々目にしています。

新しい環境で不安を抱える子どもたちを、どう支えればいいのか。どんな言葉をかければ、自分らしくいられるのか。そして、何より親自身がどのような視点で子どもの「人間関係」と向き合うべきか。そのヒントを、一緒に探していきましょう。

参考データ:文部科学省「子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題」

「友達づくり」は学校生活の一部にすぎない

小学校でも中学校でも、学校という場所は何より「学びの場」であるということを、まずは再確認しておきたいと思います。先生の話を聞いて、自分で考える力を養う。そうした教育活動こそが、本来の学校生活の核です。

ところが、実際の学校生活では「友達関係」に注目が集まりがちです。先生も保護者も、「友達を大切に」「友達と協力して」と繰り返します。運動会も、修学旅行も、合唱コンクールも、ほとんどの行事は「仲間との協力」が前提となっています。それ自体は悪いことではありません。むしろ、協調性やコミュニケーション能力を養うには最適です。

ただ、ここにひとつ大きな落とし穴があります。それは、「友達ができない子は、学校生活がうまくいっていない」という誤解です。

実際には、ひとりでいることを好む子どももいます。自分の世界を大切にしたい子もいます。グループに入って無理に笑うより、一人で本を読んでいる方が心が穏やかになる子もいるのです。それにも関わらず、「友達がいない=問題がある」と判断されてしまうことが非常に多いのが現状です。

このような誤解の中で苦しむのは、ほかならぬ子どもたち自身です。周囲の目を気にして、無理に誰かと関わろうとしてしまう。自分を押し殺してでも輪に入ろうとしてしまう。その結果、疲弊し、自己肯定感を失っていくのです。

「友達がいない」と聞いても、すぐに問題視しないこと。そこに焦りを感じる必要はありません。学校は本来、「自分らしさを育む場」であるべきです。そして、その「自分らしさ」は、必ずしも友達という枠の中で育まれるものではありません。

だからこそ、私は繰り返し伝えます。「友達を作らなくてもいい」。それは、子どもの世界を狭める言葉ではなく、むしろ可能性を開くための言葉なのです。

「友達ができない=劣っている」は幻想

新学期が始まって数日が経つと、子どもたちの間で自然と“序列”のようなものが生まれ始めます。目立つ子、人気のある子、誰とでもすぐ仲良くなれる子――そうした子どもたちが早々に友達の輪を築いていく様子を見て、親も子も、無意識のうちに「友達が多いことが正しい」「友達が少ない=劣っている」と感じてしまいがちです。

しかし、それは完全に幻想です。

そもそも、「友達が多い=人間的に優れている」といった価値観は、一体誰が決めたのでしょうか?学校の中で目立つ子が、必ずしも心の豊かな子とは限りません。友達が少ない子が、劣っているわけでもありません。むしろ、慎重で観察力があり、自分のペースで人との距離を測れる子こそ、将来にわたって安定した人間関係を築ける資質を持っているとも言えるのです。

「友達がなかなかできない」という現象には、いくつかの要素が関係しています。性格の問題だけではありません。周囲の環境、同じクラスにどんな子がいるか、先生の指導方針、学校の雰囲気など、多くの要素が影響しています。そして何より、「相性」があります。たとえ良い子同士であっても、相性が合わなければ、無理に仲良くする必要はありません。

ですが、子どもたちの間では「仲良し=善」「ひとり=悪」という空気が強く存在しています。これは、アニメやドラマなどの影響もありますし、大人たちの会話の中にも無意識の偏見が含まれていることが多いのです。

たとえば、親同士がこんな会話をしていたらどうでしょうか。

「うちの子、もう友達ができて毎日遊んでいるんですよ」 「え〜すごい!うちはまだみたいで心配で…」

この一言が、子どもにとってどれほどプレッシャーになるか。友達の有無を成績のように比較されると、子どもは「できなかった自分」を否定的に受け止めてしまいます。まるで「友達がいないことは失敗」のように感じてしまうのです。

しかし、人との関係はテストの点数のように評価できるものではありません。何人と話したか、何人と連絡先を交換したか、それは本質ではありません。もっと大事なのは、その関係の中に「安心感」があるか、「尊重」があるかということです。

また、友達ができないことで落ち込んでしまう子どもに、こんな声かけをしてしまう親もいます。

「もっと自分から話しかけなさいよ」 「挨拶くらいちゃんとしないと、友達できないよ」

こういった言葉は、子どもにとって“ダメ出し”に聞こえます。もちろん、社会性を育てるための助言として意図されているのでしょう。でも、傷ついている子どもに必要なのは、戦い方のアドバイスではなく、安心して休める場所です。

「無理して友達作らなくていいよ」 「ひとりでいても、何も悪くないよ」

そんな風に伝えてもらえたら、どれほど救われる子がいるでしょうか。

「友達になろう」という言葉の裏にあるプレッシャー

新年度、特に入学やクラス替え直後には、先生や親が子どもに頻繁に投げかける言葉があります。

「新しい友達作ってね」 「まずは誰かに声をかけてみよう」 「困っている子がいたら声かけようね」

このようなフレーズは、一見優しさと善意に満ちた言葉に思えます。実際、悪意が込められているわけではありませんし、社会性を育てる教育の一環としても機能しています。

しかし、それがノルマやミッションのように聞こえてしまうこともあるのです。

子どもにとって、見知らぬ人に話しかけるという行為は、想像以上にエネルギーのいることです。自分がどう思われるか、変に思われないか、嫌がられないか……そうした不安を抱えながら「友達になろう」と声をかけるのは、心の強さが求められます。

しかも、それがうまくいかないと、「やっぱり自分はダメなんだ」と自己否定につながりやすいのです。つまり、「友達を作ろう」という言葉は、子どもによっては「作らなければならない」「作れない自分は失格」というプレッシャーになり得るのです。

特に、集団において自分のポジションを探るのが苦手な子や、敏感で繊細な子にとっては、「友達を作ることが当然」とされる空気は非常に息苦しいものです。大人でも、初対面の人に話しかけるのが苦手な人はたくさんいますよね。それを子どもにだけ「できて当たり前」と押しつけるのは、少し乱暴ではないでしょうか。

また、先生が子どもたちに「みんなで仲良くしよう」「友達100人作ろうね」と言うと、それを文字通り受け取ってしまう子どももいます。人によっては、その期待に応えようと必死になり、自分の本心を無視して関係を築こうとしてしまいます。自分に合わない子とも無理に仲良くしようとし、心がすり減っていくのです。

だからこそ、「友達になろう」という言葉は慎重に使うべきです。友達づくりを推奨するのではなく、「一人でいても悪くない」「誰かと話さなくても、そのままで大丈夫」というメッセージを、同時に伝える必要があります。

本当に優しさを持った人間とは、誰に対しても敬意を持って接することができる人です。無理に誰かとつながるのではなく、心が自然と近づく相手と、時間をかけて関係を築いていく。それが、本来の「友達」であるべきです。

「友達の輪」は、ときに壁にもなる

学校生活において、「友達の輪」という言葉はポジティブなイメージで語られることがほとんどです。「友達の輪が広がる」「輪の中で楽しむ」など、何かと良いことの象徴として扱われます。

しかし、輪は内側と外側を分ける構造となります。

つまり、誰かが輪をつくるということは、同時に「その外にいる誰か」が必ず生まれるということなのです。子どもたちはその構造を直感的に理解しています。輪の中に入っているか、弾かれているか、あるいは入っていてもいつ出されるかわからない。そんな不安定な立場の中で、多くの子どもが神経をすり減らしています。

新学期の4月、特にこの「輪」が急速にできあがっていく時期です。最初の数日で誰と一緒にいるかによって、その後の人間関係がある程度決まってしまうような空気があるのです。これは高校生、中学生、小学生でも共通です。

そのため、子どもたちは焦ります。「どこかのグループに入らないと」と。まるで椅子取りゲームのように、居場所が限られているかのような感覚に襲われ、誰かと早くつながらなければ、自分の居場所がなくなってしまうと思い込むのです。

ここで問題なのは、「輪に入ることがゴール」になってしまうことです。本来、友達とは信頼関係を築き、気の合う人同士が自然にできるものです。しかし、輪に入りたいという気持ちが強くなりすぎると、「誰でもいいから一緒にいたい」「嫌われてもいいからついていくしかない」といった依存的な関係を生み出しやすくなります。

さらに怖いのは、一度輪ができると、それを守ろうとする心理が働くことです。その結果、輪の外にいる子に対して無意識に壁をつくってしまう。「この子は違うグループの子」「あの子はちょっと変わってるから…」という線引きが生まれます。そしてそれが、無視や排除といった形で表面化していくこともあります。

また、輪の中にいる子どもも安心ではいられません。常に「この輪から外されないように」という緊張感の中で過ごすことになります。何か意見を言うと嫌われるかもしれない。違う行動を取ると裏切り者扱いされるかもしれない。そういった不安が、輪の中にいるはずの子どもたちをも苦しめているのです。

つまり、「友達の輪」というものは、うまく機能すれば支え合いの場になりますが、構造としてはとても不安定で、排他的になりやすい面を持っています。

だからこそ、私たち大人は「輪に入ること」を目標にしない姿勢を子どもに伝える必要があります。「無理に入らなくていい」「一人でいることも素敵だよ」という価値観を共有することで、輪の“外”を恐れない心を育てていくことができるのです。

人間関係で大切なことは「敬意」

では、友達を作ることよりも本当に大切なこととは何でしょうか?

それは「敬意」です。誰かを尊重する気持ち、違いを認める態度、自分自身を過小評価しない誇り。これらがあってこそ、人との関係が健全に成り立ちます。そしてこれは、友達かどうかに関係なく、すべての人間関係に共通する軸なのです。

友達になる、ならないというのは、一種の“選択”です。しかし、敬意を持って接することは基本となります。好き嫌いとは関係なく、目の前の人に対して最低限の礼儀と配慮を持って接する。それができる子どもは、たとえ友達が少なくても、必ず誰かから信頼されます。

反対に、「仲良し」だけれど敬意がない関係は、すぐに壊れます。たとえば、いじめの加害者はよく「遊びだった」「仲良かったから冗談のつもりだった」と言います。しかし、それは敬意のない関係です。「嫌だ」と感じている相手の気持ちを無視している時点で、それは友情ではありません。

私たち親が子どもに教えるべきなのは、「友達と仲良くすること」ではなく、「すべての人に敬意を持つこと」です。たとえクラスメイトと距離を置いていたとしても、その子の考えや好み、家庭環境を馬鹿にしないこと。表面的に仲良くするのではなく、心の奥で他者を尊重すること。

そして同じくらい大切なのは、自分自身に対しても敬意を持つことです。自分の感じ方や考え方を大切にし、「一人でいたい」という気持ちも否定しない。それができるようになると、無理に輪に入る必要もなくなり、自分らしさを守れるようになります。

「友達がいてもいなくても、自分を大事にできているなら、それで充分立派だよ」

このメッセージを、ぜひ子どもたちに届けてあげてください。誰かに合わせるより、自分に敬意を持てることの方が、よほど難しくて、価値のあることなのです。

居場所はひとつじゃない

学校という場所は、子どもたちにとって社会の最初の縮図です。そしてその中で、子どもたちは「居場所」を求めます。誰かと笑い合える場所、安心できる空間、自分の存在が認められていると感じられる環境。それが「居場所」です。

ですが、現実には、学校という一つの場所の中だけで、すべての子どもが安心して過ごせるわけではありません。クラスの中に自分と合う人がいないこともあります。部活に馴染めないこともあります。先生と相性が悪いことだって、当然あります。

それなのに、多くの子どもは「学校の中で居場所がない=自分が悪い」と考えてしまいます。周りにうまく溶け込めないことを、自分の性格のせいにしてしまうのです。

そして親もまた、無意識のうちに「学校でうまくやれているか」を基準に子どもの社会性を判断してしまいがちです。「クラスに友達いるの?」「今日は誰と遊んだの?」そんな会話が続くと、子どもは「学校の中で居場所をつくらなきゃいけないんだ」というプレッシャーを背負い込んでいきます。

でも、本当に大切なことは、ひとつの場所で全てを完結させないことです。居場所は、たくさんあっていい。むしろ、たくさんあったほうがいいのです。

家が居場所であること。家族との時間が心を守ってくれること。それだけでも、十分かけがえのない支えです。親が「学校だけが全てじゃないよ」と本気で思えていれば、子どもはずっと楽になれます。

また、習い事や地域の活動、趣味のコミュニティ、ネット上の健全な関係など、学校とは違う場所に安心できるつながりを持っている子は、学校で孤立しそうになっても心が折れにくくなります。選択肢があるというのは、心の逃げ道があるということ。どこかでつまずいても、別の場所で自分を取り戻せるからです。

特に今の時代は、リアルだけでなくオンラインの世界でも、自分と似た価値観を持つ人とつながれるようになりました。昔のように「学校が世界の全て」ではなくなっています。だからこそ、私たち大人が視野を広げ、「学校の中だけで居場所をつくらなきゃ」という呪縛を解いてあげることが必要です。

学校はあくまでひとつの環境です。向いていない子もいて当然です。そういう子にこそ、「学校に馴染めなくても大丈夫」「君にはもっと別の居場所がある」と伝えてあげること。それが、本当に必要な親の支援だと思うのです。

子どもが安心して戻ってこられる場所、それが家庭であること。その信頼があれば、学校で居場所が見つからなくても、子どもは折れずにいられます。

おわりに:誰のものでもない、自分のペースで歩ける子へ

ここまで、「友達を作らなくてもいい」というテーマで、学校生活や人間関係、親の関わり方についてお話してきました。しかし「友達がいらない」と言いたいのではありません。友達ができること、それ自体は素晴らしいことです。

ただ、「作らなきゃダメ」という空気に支配されて、自分を曲げたり、心を削ったりしてしまうことの方が、ずっと問題だと思っているのです。

4月というのは、子どもたちにとってとても特別で、同時にとても繊細な時期です。まわりは新しい友達を作っているように見えて、自分だけが取り残されているように感じる子もたくさんいます。無理にグループに入ろうとして傷つくこともあります。ちょっとした言葉や態度で、大きく自信を失ってしまうこともあります。

そんな時、子どもが帰ってくる場所である私たち大人が、何を言ってあげられるか。それがすべてだと思うのです。

「ひとりでも大丈夫だよ」 「ゆっくりでいいよ」 「無理しなくていい」

そう言ってあげられるだけで、子どもは少し楽になります。親が自分を否定せず、信じてくれている。それだけで、また明日、学校へ行こうと思えるのです。

この春、すぐに友達ができる子もいれば、なかなか関係が築けない子もいます。でもそれは、勝ち負けではありません。どちらが偉いわけでも、どちらが間違っているわけでもない。それぞれが、それぞれのペースで、少しずつ居場所を見つけていけばいいのです。

そして子ども自身が、自分の「心地よい距離感」を知り、誰にも合わせすぎず、自分らしく生きていけるようになること。それこそが、人生における本当の強さだと私は信じています。

だから、無理して輪に入らなくてもいい。 気の合う人がいなければ、一人でいてもいい。 居場所は、ひとつじゃなくていい。

大人がこの価値観をしっかり持っていれば、子どもはもっと自由になれます。もっと自分を肯定できるようになります。そして、そういう子どもこそ、いつか本当に信頼できる友達と出会えたときに、深く、あたたかい関係を築けるようになるのです。

どうかこの春、自分のペースでゆっくり歩いているすべての子どもたちに、あたたかい目を向けてあげてください。彼らが「誰かになる」ことではなく、「自分である」ことに誇りを持てるように。私たち大人は、焦らず、寄り添い続けましょう。


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