個性を重視することの落とし穴
こんにちは。再登校支援「トーコ」の竹宮と申します。臨床心理士として10年以上、不登校のご家庭の支援を行ってまいりました。
今日は「個性を大切にしましょう」という、一見とても正しそうに聞こえる言葉について、少し立ち止まって考えてみたいと思います。
多くの保護者の方とお話しする中で、この言葉がかえって子育てを難しくしている場面を何度も目にしてきました。
本稿では、個性を尊重することの意味と、そこに潜みやすい落とし穴について、心理士の立場から整理してお伝えしたいと思います。
目次
個性は既にあるもの
個性を伸ばせばうまくいく、という言葉の背景
不登校の相談をしていると、「その子の個性を大切にしてあげてください」「無理に周りに合わせなくていいですよ」という言葉をかけられることが多いと思います。
これらの言葉は、苦しんでいる親子を責めない、という意味ではとても優しい表現です。
学校に行けない現実に直面している保護者にとって、否定されないこと自体が救いになる場合もあります。
なぜこのアドバイスが広く使われるのかというと、過去の画一的な教育への反省が背景にあります。
みんな同じでなければならない、空気を読めないと排除される、そうした時代を経て、個性を尊重しようという流れが生まれました。
この流れ自体は、とても大切なものです。
個性に悩む家庭
一方で、「個性を大切にしているはずなのに、状況がどんどん悪化している」と感じている保護者も少なくありません。
子どもの気持ちを尊重しているつもりなのに、家の中が荒れていく。
学校との距離が広がる一方で、親子関係も不安定になっていく。
そのようなご相談には、ある共通点があります。
それは、「個性」という言葉が、いつの間にかとても重たい役割を背負わされているという点です。
本来、個性は意識して伸ばすものではありません。
誰かと違うことを証明するための道具でもありません。
しかしながら、現実には「周りと違うこと=個性があること」という理解にすり替わってしまう場面が多く見られます。
没個性な子どもは存在しない
まず大前提としてお伝えしたいのは、没個性な子どもは存在しないということです。
どのような考え方をしていても、どのような生活を送っていても、その子なりの感じ方や価値観があります。
それこそ個性です。
たとえば、毎日同じ時間に起きて、同じルートで登校し、同じ席に座ることを好む子どもがいます。
変化が少ないことに安心を覚え、予測できる一日を大切にするタイプです。
これは一見すると「目立たない」ように見えるかもしれませんが、立派な個性です。
反対に、新しいことにすぐ興味を持ち、予定が変わることを楽しめる子どももいます。
この違いに優劣はありません。
どちらも、その子なりの世界への接し方です。
周りと違うことを目指すと…
問題が起こりやすいのは、「個性を出そう」「その子らしさを見つけよう」という意識が強くなりすぎたときです。
特に不登校という状況では、「学校に行かないのもこの子の個性なのかもしれない」と考えたくなる気持ちが生まれやすくなります。
この気持ち自体を責める必要はありません。
ただし、そのまま進んでしまうと、別の歪みが生じることがあります。
個性の発現として「周りと違うこと」を目標にしてしまうと、それは内側から自然に生まれた個性ではなくなります。
「他人と違うこと自体が価値である」という基準が、行動の軸になってしまうからです。
この状態は、本人にとっても、周囲にとっても負担が大きくなりやすいです。
個性と自由を混同しない
人と違う行動は個性ではない
ここで、現場でよく話題に上がる行動について整理してみます。
授業中に教室を歩き回る。
突然大きな声を出す。
気に入らない授業には参加しない。
これらの行動について、「個性だから尊重すべきだ」と言われることがあります。
確かに、これらの行動の背景には、その子なりの理由があります。
不安が強い。
感覚過敏がある。
集団の中で緊張が高まりやすい。
理由を理解しようとする姿勢は、とても重要です。
しかしながら、これらの行動を「個性」として扱うことは、本質的には別の問題を含んでいます。
なぜなら、個性と社会性は、同じ軸の上にあるものではないからです。
個性と社会性を分ける必要
個性とは、その人固有の感じ方や考え方の傾向です。
社会性とは、他者と共に生きるための行動の調整力です。
この二つは、独立して存在しています。
授業中に歩き回る子どもにも、その子なりの個性があります。
同時に、その行動が集団の中でどのような影響を及ぼすかを学ぶ必要もあります。
個性を尊重することと、行動の調整を学ぶことは、矛盾しません。
ここを混同してしまうと、「嫌ならやらなくていい」「気分が乗らなければ動かなくていい」というメッセージだけが残ってしまいます。
これは、子どもにとって決して楽な考え方ではありません。
集団を避ける子ども
否定してはせず、放置しない
「誰とも話したくない」「部屋に引きこもっていたい」という言葉は特に不登校の子どもからよく聞きます。
この気持ちは、否定されるべきものではありません。
強いストレスや疲労の中では、人と距離を取りたくなるのは自然な反応です。
一方で、保護者がその状態を「この子の個性だから」と捉え続けることは、別の問題を生みます。
人は社会と関わらずに生きていくことはできません。
これは選べるものではなく、種としての前提です。
ここで大切なことは、集団を避けたいという気持ちと行動を分けて考える視点です。
気持ちは受け入れる。
しかし、行動の方向性は一緒に考えていく。
この姿勢が、保護者には大切です。
感情を最上位に置かない
ここで一つ、重要な考え方をお伝えします。
それは、「自分の感情を行動原理の最上位に置かない」という視点です。
多くの人は、「感情が先にあって、行動が決まる」と考えています。
嫌だからやらない。
不安だから避ける。
この考え方は、とても自然に聞こえます。
しかし、心理学の臨床現場では、逆の側面も数多く確認されています。
行動が変わることで、感情が変わる。
この影響は、特に子どもにおいて顕著です。
たとえば、朝は気分が重くても、決まった時間に起きて顔を洗うと、少し頭がすっきりすることがあります。
外に出る予定がなくても、着替えることで気持ちが切り替わることがあります。
行動が感情を引っ張る場面です。
この視点を持つことで、「今の気持ちがすべてを決めるわけではない」という、少し楽な捉え方が可能になります。
感情を尊重しながら、行動の幅を閉じない
「気持ちは分かる」と「そのままでいい」は違う
支援の現場でよく聞くのが、「子どもの気持ちを尊重したいけれど、どこまで受け入れていいのか分からない」という声です。
これはとても自然な葛藤です。
気持ちを否定すれば親子関係が壊れそうで怖い。
かといって、すべてを受け入れていると、この先が見えなくなる。
その板挟みの状態で、長く苦しんでいる保護者は少なくありません。
ここで整理しておきたいのは、「気持ちは分かる」という姿勢と、「行動をそのまま肯定する」という姿勢は、同じではないという点です。
子どもが「学校に行きたくない」と言ったとき、「そう感じるほどつらいんだね」と伝えることは、気持ちへの理解です。
一方で、「じゃあ、何もしなくていいよ」と結論づけることは、行動の固定化につながります。
この違いを意識できるかどうかが、個性を尊重する関わりと、個性という言葉に縛られてしまう関わりの分かれ道になります。
子どもは「今」から判断しやすい
子どもは、目の前の負担や不快感にとても敏感です。
これは意志が弱いからではありません。
先の見通しを立てたり、長期的なリスクを考える力がまだ十分ではないからです。
たとえば、朝起きて学校に行く準備をすることは、エネルギーを使います。
教室に入ることも、緊張を伴います。
一方で、布団に戻ることや、部屋で一人で過ごすことは、すぐに楽になります。
この構造の中では、「今、楽なほう」を選ぶのは、とても自然な判断です。
だからこそ、保護者が「今の気持ち」だけを基準に判断してしまうと、選択肢はどんどん狭くなっていきます。
これは、子どもの個性を守っているようでいて、実は未来の選択肢を減らしている状態でもあります。
行動が感情を形づくる
認知行動療法から学べること
ここで、認知行動療法という心理学の枠組みについて触れておきます。
認知行動療法とは、「出来事」「考え方」「感情」「行動」が相互に影響し合っていると捉える考え方です。
これは言い換えると、「気持ちだけが原因で、すべてが決まるわけではない」という視点です。
多くの人は、「不安だから動けない」と考えます。
しかし実際には、「動かない状態が続くことで、不安が強まる」という循環が起きていることも多いです。
この循環に気づかないまま、「不安がなくなるまで待とう」とすると、時間だけが過ぎてしまいます。
小さな行動が意味を持つ理由
子どもに対して、いきなり大きな変化を求める必要はありません。
むしろ、それは逆効果になりやすいです。
大切なのは、「行動のハードルを下げる」という視点です。
たとえば、学校に行くこと自体が難しい場合でも、朝決まった時間に起きる。
制服に袖を通してみる。
玄関まで行ってみる。
これらはすべて、行動です。
「それで何が変わるのか」と感じるかもしれません。
しかし、行動が変わると、脳は「いつもと違う状態」を認識します。
その結果、感情も少しずつ揺れ動きます。
劇的ではありません。
ほんのわずかな変化です。
それでも、この積み重ねが、感情だけに支配されない経験を子どもに与えます。
個性を理由にしない
「自分はこういう人間だから」という固定化
個性を強調しすぎた関わりの中で、子どもが身につけやすい考え方があります。
それは、「自分はこういう人間だから仕方がない」という捉え方です。
一見すると、自分を受け入れているように見えます。
しかし、この考え方はとても強い制限でもあります。
なぜなら「変わらなくていい理由」を自分で作ってしまうからです。
「人と関わるのが苦手な性格だから話さない」
「集団が合わない個性だから参加しない」
このような言葉は、今の自分を守る力はあります。
一方で、未来の自分が選べる道を、今の時点で閉じてしまいます。
個性と可能性は両立する
個性を尊重するというのは、「今の状態を固定すること」ではありません。
その子なりの感じ方やペースを前提にしながら、経験の幅を狭めないことです。
たとえば、人前で話すのが苦手な子どもがいます。
これは、その子の特性かもしれません。
しかし、「だから一切発言しなくていい」と決めてしまうと、発言する経験そのものが失われます。
一方で、「短い一言でもいい」「書いたものを読んでもいい」という形で関わりを続ければ、その子なりのやり方で経験を積むことができます。
ここに、個性と社会性を切り分けて考える意味があります。
親の役割の一側面
選択肢を与える大切さ
「親の最大の役割は、子供が将来自由に選べるだけの選択肢を提示することだ」という哲学者の言葉があります。
選択肢を与えるというのは、「自由にさせる」という意味ではありません。
また、「どれを選んでも同じだよ」と言うことでもありません。
選択肢を与えるとは、考える材料を手渡すことです。
たとえば、「今日は学校に行くか行かないか」という二択だけを提示すると、子どもは追い詰められます。
一方で、「午前中だけ行く」「別室で過ごす」「担任に会うだけにする」という選択肢があれば、考える余地が生まれます。
この余地こそが、子どもの主体性を育てます。
後悔しにくい人生に繋げるために
どのような生き方をするかは、最終的には本人が決めることです。
ただし、物の見方を学ぶことは、後悔しにくい人生につながる可能性が高まります。
「今の気持ちだけで決めなくてもいい」
「一度選んだからといって、ずっと同じでなくてもいい」
こうした視点を、日常の関わりの中で伝えていくことが、保護者にできる大切な支援です。
個性とは何だったのか
個性は後から付いてくるもの
最後に、もう一度「個性」という言葉に立ち返ります。
個性は、意識して育てるものではありません。
日々の選択や経験の中で、自然と生まれてくる後追いのものです。
周りと違うことを目指さなくても、没個性にはなりません。
静かに過ごす子にも個性があります。
迷いながら進む子にも個性があります。
立ち止まる時間にも、その子らしさは含まれています。
不登校の支援において、保護者は常に難しい立場に置かれます。
押し付ければ関係が壊れそうで、引きすぎると先が見えない。
その間で揺れるのは、当然のことです。
個性を尊重するとは、子どもの感情を理解しつつ、行動の可能性を閉じないことです。
そのためには、ときに「それは個性とは違うよ」と、大人が整理して伝える必要があります。
これは冷たさではありません。長い目で見た優しさです。
今日お伝えした視点が、今すぐ何かを解決するものではないかもしれません。
それでも、「この考え方でよかったのだろうか」と立ち止まったとき、少し心が軽くなる材料になればと思います。
個性という言葉に縛られすぎず、子どもが選べる未来を一緒に増やしていく。
その視点を、ぜひ大切にしていただければと思います。
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