子育てでイライラしにくくなる考え方とは?

こんにちは。不登校カウンセラーの竹宮です。
今日は「子育てでイライラしにくくなる考え方とは?」というテーマについてお話ししたいと思います。

子育ての中で、思い通りにならない場面に出くわすことは多々あります。
とくに不登校の子どもを抱えるご家庭では、日々の小さなすれ違いや沈黙さえも、親にとっては大きなストレスになりがちです。

「どうして言うことを聞かないのか」「あれだけ頑張ってるのに感謝もされない」
そんな風に思った経験はありませんか?

このような感情の裏にあるものを、今日は少し掘り下げてみたいと思います。

目次

報われない時の苛立ち

親という立場になると、どうしても“与える側”になります。
食事を作り、洗濯をし、学校へ行かなくても心配し、本人が気まずくならないように空気を読んで話しかける。

そこにはたくさんの努力があります。

しかし、こうした努力が報われないと感じる瞬間に、強い苛立ちが生まれます。
たとえば、朝からお弁当を作ったのに「別にいらない」と言われたとき。
時間をかけて話を聞いたのに、反応がそっけなかったとき。

こういう場面で、「私はここまでしてるのに」とつぶやいてしまうのは、ごく自然な感情です。

無償の愛の落とし穴

こうした場面でよく見かけるアドバイスがあります。

「子どもに見返りを求めないことが大切です」
「親は無償の愛を持つべきです」

たしかに、理想論としては理解できます。
でも、これを鵜呑みにしてしまうと、かえって苦しくなることがあります。

なぜなら、人は誰でも「ありがとう」と言われたいし、自分の努力が伝わってほしいからです。

それを「無償であるべき」と抑え込もうとすると、感情に蓋をすることになり、
結果的にその蓋が破裂するように怒りとして噴き出してしまうことがあります。

見返りを求める気持ちが悪いわけではない

実は、「見返りを求めること」自体は、悪いことではありません。
それは、人として当たり前の感情です。

問題になるのは、それが“当然”だと思ってしまうときです。

たとえば、家事をして「ありがとう」と言われなかったときに「なんで感謝しないの」と思ってしまう。
これは「感謝されるべき」と、自分の中での基準が固定されている状態です。

そうなると、感謝されないことが「否定された」と感じられ、傷つきやすくなってしまいます。

好意についての寓話

昔、ある村に長者が住んでいました。
この長者は、正月になると村人たちにお餅を配るという習慣を毎年続けていました。

最初のうちは、

村人たちは「ありがたい」「長者様のおかげで正月が迎えられる」と大変感謝しました。

しかし、何年も経つうちに、次第にこんな声が上がるようになったのです。

「今年の餅は去年より小さい」
「まだ配られないのか」

そしてついには、「餅が配られない年」が訪れます。
長者はもう配るのをやめてしまったのです。

この話は寓話ではありますが、示しているのは人間の心理の一側面です。

“好意”が“義務”と受け取られてしまうと、与える側は消耗してしまいます。
しかもその消耗は、自分自身でも気づきにくいものです。

自分の「期待」に気づく

この話を子育てに置き換えると、見えてくるものがあります。
親の行動が「無償の愛」であったとしても、どこかで「理解されたい」「報われたい」と思うことはあります。

その気持ちに無理やり蓋をしないこと。
むしろ「私はこの行動に、何を期待していたんだろう」と、自分に問いかけてみてください。

「ありがとうって言われたかったんだな」
「やりたくないけど、頑張ったことに気づいてほしかったんだな」

そう自覚するだけでも、不思議と気持ちは少し落ち着きます。

感情を否定しないことが、イライラを減らす第一歩

感情をコントロールしようとすると、多くの人が「我慢しよう」とします。
しかし、我慢は一時的な方法であって、根本的な解決にはなりません。

むしろ、「自分の感情を正しく理解する」ことのほうが、長い目で見ればずっと有効です。

たとえば、子どもがゲームばかりしていて、つい怒ってしまったとします。
「勉強もしないし、親の顔を見ても挨拶もない。どうなってるのか」のような怒りです。

でも、怒りの奥には、

「このままだとこの子が困る未来が来るんじゃないか」
「周囲から親として見られる自分の立場がつらくなるのでは」

そんな不安や恐れがあります。

そうした感情に目を向けることで、怒りの“芯”が見えてきます。

感情を見つけて、解放する

怒りやイライラの裏にある「本当の気持ち」を見つけたとき、私たちは初めてそこから自由になれる可能性が出てきます。

たとえば、「頑張ってる自分を認めてほしかった」と気づいたとき、
誰かに「頑張ってるね」と言われなくても、自分で自分にそう言ってあげられるようになります。

それは、“怒らないようにしよう”と無理にブレーキをかけるのとは違います。
むしろ、自然とブレーキが効くようになる。そういう変化です。

「子どものために」は、時に自分を苦しめる

「子どものために」という言葉は、とても尊いものです。
でも、この言葉が強くなりすぎると、自分の苦しみや限界を見落とすことがあります。

たとえば、「子どもが笑顔でいられるように」と毎日話しかけ、気遣いをし続ける。


けれど、子どもがそれに反応しないと、「私のやり方が間違っていたのか」と思ってしまう。

しかし、子どもが反応しない理由は、単純に“その日たまたま気分がのらなかった”ということかもしれません。
それなのに、親の側が「子どものために」と無理をし続けてしまうと、
いつかその負荷が「怒り」や「悲しみ」として噴き出します。

気持ちの整理は、順番が大切

カウンセリングではよく、「気持ちが渋滞していますね」という言葉を使います。

これは、複数の感情が同時に押し寄せてきて、自分の中で整理できずに混乱している状態を指します。
たとえば、「子どもを信じたい気持ち」と「現実に焦る気持ち」がぶつかり合うと、何を信じていいのかわからなくなってしまいます。

このようなときは、まず「今一番強く感じている感情」を見つけることが大切です。

怒っているように見えても、その裏には「悲しみ」や「孤独」があることがよくあります。
逆に、何も感じないように思えても、そこには「諦め」が隠れていたりします。

親の余裕と、子どもの安心

不登校の子どもにとって、親の感情はとても敏感に伝わります。
たとえば、表面では優しく声をかけていても、内心で「いい加減にしてよ」と思っていれば、それは態度や言葉の端々に出てしまいます。

だからといって、「ずっと穏やかでいなければ」と自分を追い詰めてしまっては本末転倒です。

重要なのは、感情の波があることを否定せず、むしろ「波があるのが普通」と受け入れることです。

感情の波を受け入れられるようになると、自然と反応も柔らかくなります。
それは、子どもにとって「この人のそばは安全だ」と感じさせる大きな要素になります。

子育ての報酬

子育てという営みは、すぐに成果が返ってくるものではありません。
今日頑張ったから明日には関係がよくなる、という保証はありません。

ですが、だからこそ、そこにある“小さな瞬間”が貴重になります。

たとえば、ふとした瞬間に子どもが目を合わせてくれた。
あるいは、一言だけでも「うん」と返事をしてくれた。

それだけで「今日は悪くなかった」と思える日があるなら、それは十分な成果です。

最後に

子育てでイライラしにくくなる考え方の本質は、「見返りを求めること」を否定することではありません。

むしろ、「見返りを求めたくなる自分を、否定しないこと」にあります。

親である前に、私たちは一人の人間です。
人間には「認められたい」「分かってほしい」「楽になりたい」と願う気持ちがあります。

その気持ちを正直に見つめること。そして、少しずつでも、自分の気持ちを整理していくこと。

それが結果的に、子どもにとっても居心地の良い家庭環境につながっていきます。

【国内最多の登校支援実績】トーコについて

私たちトーコは、不登校に悩んでいる2,000名以上のお子様を継続登校まで支援してきました。
「2年間一度も学校に行けなかった」「両親に反抗して暴れていた」など様々なご家庭がありましたが、どのケースでも効果を発揮してきました。

それは私たちが、医学的な根拠を持って不登校要因を診断し、児童心理司や精神科医の専門チームが継続登校までサポートする強みの表れと考えています。
無料相談も実施しておりますので、不登校でお悩みの方はぜひご検討ください。

国内最多の再登校実績。専門家による支援で、無理のない継続登校をサポート。低価格で品質の高い不登校支援サービスは、トーコです。